月よお前が悪いから…のアーカイブ

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ネオコン勢力と添い遂げようとする横浜地裁

※本文はhttp://d.hatena.ne.jp/artane/20090718#1247860716 から※


http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryivjul0907399/
教員の起立斉唱は義務と認定/横浜地裁
* 社会
* 裁判
* 2009/07/17

 県立学校の教職員ら135人が県に対し、入学式や卒業式で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務がないことの確認を求めた訴訟で、横浜地裁吉田健司裁判長)は16日、「起立、斉唱は儀礼的行為。命令が発せられた場合には起立斉唱する義務を負う」などとして、原告側の訴えを棄却した。原告側は控訴する方針。

 原告側は、起立斉唱は国旗国歌への「敬意」を表明する行為で、起立斉唱命令は思想、良心の自由を定めた憲法19条に違反しているなどと主張していた。

 判決は、式典での起立斉唱は「通常想定され、期待される儀礼的な行為」だと指摘。起立斉唱命令が「原告らの精神活動に影響を与えることは否定できない」としながらも、「直ちに原告らの信念を否定するものではなく、生徒や父母の思想、良心の自由を侵害するものともいえない。校長が行う指示命令は、適法な職務行為」とした。

 また、教職員が起立斉唱しない状況を「式に参列する来賓や保護者に不信感を抱かせて対外的な信用を失墜するほか、式の円滑な進行の妨げとなる恐れがある」と批判。「生徒に対する指導上も問題があることは明らか」として、校長が教職員に起立斉唱を命じる必要性を認めた。


 判決を受け、原告側弁護団は「少数者の精神的自由を保障する憲法の理念を踏みにじるもので、教育への行政の不当な介入に対する危機意識を欠いている」とした抗議声明を発表。松沢成文知事は「きわめて妥当な判決。これまで通り指導が適切に行われることを期待します」とコメントした。

◆「これまでの判決で特にひどい」
 「これまでの判決の中でも特にひどい。極めて不当な判決」。判決言い渡し後、横浜地裁近くの横浜市開港記念会館(同市中区)で会見を開いた原告側弁護団は、一様に判決への不満を口にし、怒りをあらわにした。

 弁護団が問題視したのは、棄却の判決結果以上に、その内容。原告側の主張について詳しく言及せずに「起立斉唱は儀礼的行為」などと一方的に断じた文面に、神原元弁護士は「原告の思いを受け止めた部分が1行もない。激しい怒りを覚える」と厳しく批判。大川隆司弁護団代表も「国民の常識に著しく反している。判決理由の文言からは、教職員への悪意がにじみ出ている」と声を荒らげた。

 原告団長で県立高校教諭の男性(56)は「公務員といえど一人の人間。思想信条がきちんと尊重される日本であってほしいと思ってきたが、今日の判決でそれは砕かれた」と肩を落としながらも、「だからといって頭をたれるわけにはいかない。あらためて次の司法の場に臨みたい」と述べ、控訴審へ決意を新たにしていた。

問題なのは、

松沢知事になってトップダウンで現場に下りてきて強引に従わされる事もなのですが、知事の指令自体が県の個人情報保護条例に明らかに違反している上に、違反である旨個人情報保護審議会からすら答申されてるのに、これを無視し「思想信条の情報にあたらない」と松沢知事が強弁してきた事に対して、横浜地裁がお墨付きを与えてしまった事です。


http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/johokokai/kojin/zenbun.htm#d2-1

(取扱いの制限)

第6条 実施機関は、次に掲げる事項に関する個人情報を取り扱ってはならない。ただし、法令若しくは条例(以下「法令等」という。)の規定に基づいて取り扱うとき、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締りその他公共の安全と秩序の維持のために取り扱うとき、又はあらかじめ神奈川県個人情報保護審議会(以下「審議会」という。)の意見を聴いた上で正当な事務若しくは事業の実施のために必要があると認めて取り扱うときは、この限りでない。
(1) 思想、信条及び宗教
(2) 人種及び民族
(3) 犯罪歴
(4) 社会的差別の原因となる社会的身分

「日の丸君が代拒否」は犯罪行為なのか?

個人情報保護条例の例外であると言う松沢知事の主張は、実は「日の丸君が代=俺に従わない者は犯罪者である」「本当なら青少年健全育成条例に加えて拒否に罰金か科料でも科したい所だ」と言うような、言葉に出したら物議を醸して石原都知事のように槍玉に上げられ兼ねないので敢えて言わないでいる言葉が言外ににじみ出ている。

そもそも、強引に・上から押し付けられて不本意ながら従われさせられたことから社会が自由を失い先の大東亜戦争のような出鱈目な侵略戦争に突き進むしかなくなったと言う歴史的な重しを今の国旗も国歌もそのままに受け継いでる上に、松沢知事の意向は明らかに「自分の言うことにご無理ご尤もでも従うこと」と「国旗国歌という物を敬すること」がイコールでつながっていて、それは外野である県民よりは県の職員や教員が一番痛く感じてる*1

*1:それなりに県の中の人と付き合いがあると、色々な話が飛び込んでくるんですよね…

松沢知事の言動や今回の判決に対する賛同でネットの中が埋め尽くされていますが、こういう時代遅れの言説にマンセーしてるのは、神奈川県の行政現場の実状を余りにしらなさすぎるからではないのか?と逆に問いたいです。

松沢知事が「神奈川から日本を変える」と称して行った行政の「改革」とは、実は、松沢知事がなんでも自分の言う通りに行政構造と利権システムを組み替える事でした。

その結果として多くの「抵抗勢力」と松沢知事が「闘って」、そして知事が「勝って」きてはいるのですが、しかし、行政の末端現場では柔軟性を失い・知事や知事の代理人である所の部署のトップの顔色を見つづけることが最大の「業務」になってしまっている。そこには、県民に奉仕しようという志を持ちつづけている職員が不当に悪い待遇を受けて心折れ退き・知事の操り人形がのさばって県民を見下すような状況が待っていた。((

このような、旧ソ連末期もこうであったであろうような硬直化した現場と言うのは教育現場も例外ではないどころか、「日本を変える」と称して統一協会と親密な関係を国会議員時代から築き続けている松沢知事からすれば、統一協会系の他の政治家がそうであったように、真っ先に俎上に上げて叩き潰したい「抵抗勢力」であった。

彼らが叩き潰したいのは教育問題と言う物がイデオロギー的な闘争目標であると同時に、前の大東亜戦争での教訓から戦争に抵抗する最大の「抵抗勢力」として、この25年=中曽根臨教審*1からの25年間をかけて骨抜きにしてきた「にもかかわらず」、未だ骨を抜けない人々が少なからずいる事に対する苛立ちがあるのでしょう。

*1:中曽根元総理統一協会と密接に関係を持ってきた

つまりは、松沢知事がカルト宗教・統一協会イデオロギーを一つにする政治カルトの一員であるからこそ、教育というものを殊更に抵抗勢力化し・青少年健全育成などに対してもそうであるようにヒステリックに「浄化」しようとする。

そのばかばかしいまでの暴力性にたいして抵抗を続けた教員たちに対して、横浜地裁*1新自由主義新保守主義というイデオロギーに連れそうかのような出鱈目な判決を下した。

この度し難さは、松沢知事らネオコン政治カルト勢力を神奈川から総退陣させないと変わりようがないのかもしれないけど、司法の独立性をかなぐり捨てた余りに出鱈目な物です。

*1:中田横浜市長への利便供与スキャンダルを報じた週刊現代に対するSLAPP訴訟に不当な原告勝訴の判決をやったのと同じように

松沢知事と統一協会の接点(1)

http://www.kensyokurou.ne.jp/kaeyokensei/03matuzawa.htm


変えよう 県政の流れ   

松沢成文氏の知事選出馬表明に関する見解
2003年2月6日
「かながわを考える各界懇談会」呼びかけ人代表 川崎 健

 「各界懇談会」は12月14日の懇談会の論議をまとめて、「県民への呼びかけ」を発表しました。この中で、①これまでのオール与党県政の流れを断ち切り、 ②予算の流れを大型開発から福祉・くらし・環境に転換し、③情報公開・説明責任・市民参加を促し、透明で公正な県政を進め、④平和憲法を擁護し、反戦・基地返還・NLP爆音被害解消を進めるために、これらの課題で一歩でも前進できる候補者を擁立し、党派を超えて大同団結しようと呼びかけたところです。
 このたび、民主党松沢成文氏が出馬表明しましたが、私たちは次のような理由から、氏を候補者として支持することはできず、上述の立場にたった候補者の擁立と、その当選のために力の結集をめざしていきたいと考えます。


1、 氏は平和憲法否定論者です。このような人物が沖縄に次ぐ第2の米軍基地群を擁する神奈川県の知事になれば、イラク攻撃への自衛隊支援、原子力空母の母港化などに歯止めがかからず、基地返還もとどこおり、NLP爆音被害、基地公害、テロの危険が増大することになると考えられます。

2、 氏は出馬表明に当たり、「霞ヶ関との対決」「地方分権」などを掲げていますが、これまでの氏の政策は「規制緩和」「行政リストラ」などが基本となっており、小泉自公内閣の構造改革路線と異なるところがありません。

3、 氏は自民から新生党新進党民主党へと政党を渡り歩き、今回にわかに市民派、あるいは無党派を標榜して出馬するということの中に、氏の政治家としての節操を疑わしめるものがある、といわざるを得ません,

4、氏の政治的原点と思われる松下政経塾は、その成り立ちからして、財界寄りの政治家を育成するところと受け止めざるをえませんが、上にあげた氏のこれまでの政策や政治家としての身の処し方は、氏が国民本位・県民本位というよりも、やはり財界寄りの政治家であるということをうかがわせるものです。

5、氏は統一教会教祖の文鮮明創始者である世界平和連合の神奈川連合会結成に駆けつけ、祝辞で持ち前の平和憲法否定論を披露し、さらにその後の集会にも祝電を打つなど、「集団結婚」「霊感商法」で知られるいかがわしいカルト集団とただならぬ関係にあることがうかがわれ、このような人物が神奈川県知事になることに、重大な危惧を感じざるを得ません。

松沢知事と統一協会の接点(2)

http://www.jlp.net/syasetu/030206.html


談話

松沢成文氏の県知事選挙立候補表明について

2003年2月6日
日本労働党神奈川県委員会委員長 山本 正治

1,松沢氏が神奈川県知事選挙への立候補を表明した。かねがね予想されていたことであるが、その「決意」表明を読んで、改めて「松沢知事」実現を許してはならないと言う思いを強くしている。

2,その立候補「決意」は、「県民不在」の一言につきる。そこからは、神奈川に生活する864万県民の息づかい、苦しみが何ら伝わらない。
 「神奈川の危機を打破し、神奈川力を再生する」という。だが、その危機は「財政難に苦しみ、財政再建団体転落の危機」であり、「行政需要が複雑かつ多様化し、問題が山積」していると言うだけである。
 県民の現実の困難・危機は、雇用不安や失業であり、福祉後退と高齢化に伴う生活問題であり、製造業の空洞化や商店街の行き詰まりなど企業倒産と地域経済崩壊の危機である。アフガン戦争からイラク戦争の危機も迫って爆音問題など県下の米軍基地問題はますます深刻化している。
 「厳しく重要な局面」というのであれば、こうした県民生活への現実認識が問われなければならない。松沢氏にはそれが一言もない。


3,松沢氏の政治理念では県民の「危機打開」はなく、「危機は倍加」される。
 松沢氏は、「官から民へ、国から地方へ、日本の構造改革」が自らの一貫した政治目標だという。だが、県民の多くの困難は、「官から民へ」というあらゆるものを市場原理にゆだねる規制緩和と深く結びついている。「国から地方へ」も同じで、90年代の地方単独事業の押しつけに始まり、小泉改革によって政府財政赤字の地方への転嫁だけが進んでいる。「改革は遅々として進まず」かもしれないが、この程度でも地域住民と地方自治体には多大な犠牲がしわ寄せされている。これが現実である。
 小泉首相の進める「構造改革」に対して、県民生活の現状から出発していかなる態度をとるか、これは当面する県政の基本に関わる問題である。

4,松沢氏の憲法観。
 氏の「憲法創造論」によれば、「天皇の権威によって国が形造られてきた」「天皇国家元首」「集団的自衛権憲法上明記」「社会全体の利益のためには個人の権利の制限がある」「国防の義務」「家族の価値、役割を重視すべきで、それが日本の伝統」といったことを憲法に明記すべきと言う。
 県民大多数はこうした憲法観を支持するであろうか。県政は別と言っても、こうした基本的観点に立つ「これまで培ってきた政策」が県民大多数にいかなるものとなるか、論を待たないであろう。


5,松沢氏はこうした政治目標達成のため「神奈川から日本を動かす」という。一見勇ましく、聞こえも良い。しかし、まったく「県民不在」である。松沢氏は、「憲法改正」や「構造改革」といった自らの政治目標実現のため知事になると露骨に決意表明しているのである。「術策家」のように言われる松沢氏ではあるが正直者なのでであろう。
 氏は1999年、「横浜から日本の夜明けを」といって結成された世界平和連合(国際勝共連合が改名した組織)神奈川県連合結成大会に参加している。彼らの機関紙思想新聞によれば「いま、憲法が政治のメーンテーマになってきた。経済力に見合った国際貢献をしなければならない」と憲法改正に意欲を示しながら激励挨拶したという。こうした神奈川が持論なのであろう。
 結果として、県民による県民大多数のための県政が、国の政治を変える先頭に立つことはあるし、今それが痛切に求められているのは間違いない。
 だが、松沢氏のように「今こそ地方の決起が必要」というのは主客転倒である。国会議員10年の氏の敗北宣言なのか。しかし、県民がそれにつき合うわけにはいかない。
 県政はあくまで県民が主体である。ましてや憲法「改正」で「日本を動かす」ための県知事であってはならない。
 

6,わが党は、広範な県民の力を結集し、県民自らの県政実現のため「県民の知事」実現をめざし候補者擁立にむけて引き続き奮闘する。
                                                           以上