都会にいると見えない「小泉改革」の側面
とある用事で農業関係の研究者のお話を聞いてきたのですが、小泉内閣の政策では、
- 民間資金の導入による農協の解体
- 農家を現状の190万世帯から一気に40万世帯に減らす
- 農業への民間資本の大幅な導入
と言う政策が挙がっており、事実上、アメリカ的な大規模農業をやる人間以外は切り捨てる事を目論んでいるという事です。
これで何が起こっているかというのについて、長野県嬬恋村*1を例に挙げて説明があったのですが、一部の裕福な農家がインドネシアや中国からの安い労働力で大量生産を行うと言う事でして、
その方の予測では小泉内閣の農業政策がこのまますすめば、日本の農業とそれを支えてきた社会構造は徹底的に解体され、企業の都合で食糧供給が左右されるだけではなく、多くの農家が職にあぶれ、一部の大手農家が70年代以前のように農薬を乱用する状況になるだろう。と言う趣旨の予測をしていました。
折角、食の安全に注目が集まっている現在において、この「小泉改革」的な方針は時代の流れに逆行しているし、日本人をみんな生きられなくしている方向に向かっているという意味で許しがたいものではないでしょうか。
その中で同じような流れを先に辿ったイギリスの例を出していましたが、イギリスでは「田舎」には「田舎」であるということの価値を付ける事によって、都市から金持や観光客や新しい人間を導いて生き残る道を強いられている。と言う事でした。
しかし、日本では「田舎」と言うと価値の無い物とされている状況*2がずっと続いていて、それがコモンセンスになっている。
このコモンセンス…と言うか社会的な価値観が逆転しなければ、どうしょうもない。と言うか食糧自給率の面でも社会構造の面でも絶望的な結末が「小泉改革」の先に待っているようなきがしてなりません。*3