おまけ2(4/26)
詫びれば済むとか罪悪感を感じれば済むなんて単純な事じゃない。
サリン事件で知合いを亡くした人なり、恐怖を感じた人なりが、関係者が詫びただけで納得するんでしょうか?そこで止まっていたのでは、憎しみは残りつづける。
自分が依存していた物故に自分が罪を被らねばならなくなったのならば、依存を完全に離れ、その中で自分と向き合い、そして「最後に残った物」で生きていく生き様で示すしかない*1。
私はそういう風に思うし、だからこそ、彼が「贖罪」のチャンスを無自覚であるにせよ掴みかけている現在を無駄にしてはならないと思っているだけです。
*1:日本がなんぼ「謝罪」してもアジアの国々から批判されるのは、そこのところがわかっていない社会構造を戦後一貫して続けてきたからだと思う