月よお前が悪いから…のアーカイブ

http://d.hatena.ne.jp/artane/ がサーバの関係で消えるようなので、アーカイブします。基本更新しません。

物騒な話から再開。

直接請求署名運動の話は後回しにします。


http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081119k0000m040131000c.html
元次官宅襲撃:「年金テロか」…厚労省は重苦しい雰囲気

 旧厚生省の2人の元官僚トップ宅で18日、相次いで惨劇が起きた。さいたま市で元事務次官、山口剛彦さん(66)夫妻の命が奪われ、その発見から約8時間後、約14キロ離れた東京都中野区の元次官、吉原健二さん(76)宅で、妻靖子さん(72)が刺され重傷を負った。2人の元エリートは現役時代、ともに年金制度を担っていた。「これは年金テロなのか」。卑劣な凶行に厚生労働省は、重苦しい雰囲気に包まれた。

この事件ですが、「あーあ、はじまっちゃったよ┐(´ー`)┌」と第一報を聞いたときに思いましたよ。秋葉原の無差別殺傷事件の時点でいずれは要人テロに発展すると予測はしていましたが、来てしまうと…不思議な心境です。

これは、非常に歴史的に「正しい」状況展開です。*1
50年代〜80年代の左翼運動は必死のキャンペーンによって潰せた。
労働運動も教育に於ける批判的な視点や思想、自由な意識などと言う「余計な」物も、中曽根康弘がはじめた「改革」「臨調」の流れにによって、ほぼ潰すことができた。小泉純一郎安倍晋三は最後のトドメを刺したに過ぎない。

後は、順繰りに社会を窮屈にしていって*2全てを統制すれば社会不安はなくなる…そう治安側(やそこに立脚する為政者たち)は考えていた。
ここに、大誤算があった。彼らは、歴史から学んでいなかった。
抑圧された意識は生存の不安と結びつくことによって肉体的な暴力を欲し、理由を与えられることによって「大義」を得て、実体化する。
秋葉原の無差別殺傷事件はまさにその非常にわかりやすい実例であったし、宅間守の起こしたことも同じラインで考えると「早すぎた『決起』」であったと考えられます。
彼らにとって、理由に社会的正当性があるかどうかは意味を持たない。自分の憤りをぶつけることの理由付けさえ得られればよい。
それが、行き着く先は…そう、日本右翼的なテロリズム。「一人一殺」「一殺多生」の概念は集団的な物であっても個人的な物であっても賞賛される土壌が日本には、遅くても幕末にはあった。
つまりは、この事件は自分の憤りと年金問題と言う公の憤りを結びつける事によって起きた、歴史的に見て正当な流れであると言うことです。
もうすこし細かく書くと、
I.経済的不安がある上に抑圧された閉塞した状況(90年代以降)
II.「小泉改革」や地方自治での新保守主義の台頭による抑圧や閉塞感の一般化(00年代前半)
この段階で、民衆蜂起が頻発化していれば、以下の段階は防げた可能性が高かったです。
III.閉塞感を弱者(仮想弱者)へのルサンチマンに転化することでの「ガス抜き」現象(平たく言えばネトウヨが暴れる中に紛れ込む形での「祭り」「炎上」)
IV.III.で現状が改善せず、却って悪化しつづけていることに気がつき始める(これが2007年辺りから)
V.大衆蜂起の復活
VI.V.と拮抗する形での権力や権力追随者からの反動圧力*3
この段階で、権力者の最も鋭い部分はやっと気がついた。映画「靖国」の上映館を恫喝した右翼活動家が警視庁公安部に逮捕された今年五月にこの兆候は見えていた。彼ら公安警察はそれまでは左翼系の人にしかまず用いなかった「免許証不実記載」と言う別件逮捕の手法で強引に逮捕を行った。彼らは事態の解明にやっと着手できた*4
VII.無差別テロルや無目的暴動の頻発(今年六月辺り)
VIII.軍の暴走による国家の暴力性の暴露と暴力の容認機運(田母神前空幕長の筆禍騒動がこれにあたる。)
VIII.右翼的文脈での要人テロルの頻発(現在から数年間)
IX.? 革命?もしくは軍事クーデターをテコとした戦争への大転換(この部分は未来予測でも非常に不安定な部分、多段的な階層を経てこの終末段階に行き着く)

さて、この中でV.以降というのは、実は大正末期から敗戦までの約25年間に起きたことのトレースでして、そこから最後のIX.のような未来予測が導かれる訳ですが。
アクションにはリアクションがある。とは建築学の某教授のお言葉ですが、世の中の動きはそれに非常に忠実です。ある動きを抑え込もうとすれば、それは抑圧する側の全く予想できない範囲から、裏を掻くかのように的確に噴出して制御不能になる。
そして、その噴出は抑圧を重ねれば重ねるほど、暴力性を増していく。このままではどこでこの悪循環を断ち切るかわかったものではない。

我々は、あらゆる道徳や規範が須く抑圧装置としてしか機能しなくなっている不幸な時代を生きている。
我々は自己解放を亀のように鈍くとも・悪魔のように執念深くとも進めぬ限りは、戦前と同じ無間地獄に陥ってしまう。
我々は、どう生きるかを本当に問われている。

そういう時代に生まれ・生きてしまった事を呪うも笑うもあなた次第ですが。

*1:http://b.hatena.ne.jp/artane/ もよろしく!追記

*2:異論があるかと思いますが、最近の「日の丸君が代」に限らず迷惑条例や偏執狂的な間接喫煙からの「保護」機運、エロスへの公からの規制。これらは社会からの自由度や内面の自由を制約するという一点において、極めて共通しており、我々は全身を以て抵抗しなければならないと考える

*3:この部分はマルクス・レーニン主義者の某氏(今どこにいるのやら)の二十年以上昔の教えに忠実かも

*4:非常に遅すぎるし、彼らを無能と思う事が裏付けられただけですが