月よお前が悪いから…のアーカイブ

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連帯責任と言ういやらしいやり方

私的な事情で恐縮ですが、私は丁度40と言うことで、小学校の後半と中学時代を徹底した管理教育の下で過ごすハメになりました。
この管理教育というのは片方に物理的暴力も含めた制裁をおき、もう片方に生徒に対する監視を置く物で中身の合理不合理は関係なしにある特定のイデオロギーを社会ルールという衣にくるんで強制する物でした。
生徒のまわりの全ての事象が明確な禁止か許可か暗黙の禁止かのどれかに分けられて、その区分けのイデオロギーに強制的に隷属させられる。拒否することは肉体的な暴力と同時に高校進学に関わる内申書のさじ加減で著しい不利益*1を被る事で贖う必要があった。

特にいやらしかったのは、「班」で分けてどれだけ校則や担任教師の個人的な思いつきのいいなりになるかを競わせるやり方でした。

これをやると、確実に班同士で足の引っ張り合いが水面下で起きるのですが、それと同時に班の中でも相互監視と足の引っ張り合いも起きる。
班の落ち度が特定の人物の落ち度にスリ変わるのみならず、
「みんなが守ってるのに…」と言う形で教師でも秩序の執行者でもないのにしゃしゃり出てきてルールを護るという大義名分で暴力を振るうことすら「ルール」を布いた大人から許容される。黙認ならばいい方で、時に大人が一緒に暴力を振るう。
相互監視と相互暴力が秩序の維持の名目の下で推奨された。

この相互監視と言う名の暴力の蔓延と同じようないやらしい構図を松沢成文・神奈川県知事が行っている「先進的な」諸々の条例に見て止まない。
結局、松沢知事が依拠してるのはミクロな暴力であって、間違っても道徳や正義ではない。道徳や正義だと彼(ら)が思っているのは単なるミクロな暴力によって個を個の根源にとって不本意な形で縛る行為でしかない。

*1:実際、五科目平均95点以上とっていて、クラスの平均点が90点割っていて、内申書の評価が五段階で「3」以上なかなかいかず、よくて「4」、「5」などまず付かずなぜかテストで平均点以下しか取っていない人がオール5だったりしたのはこの「ルール」がどれだけ恣意的であったのか…