使えるものは悪魔であっても使うしかない
この、事業仕分けを反検閲・反表現規制に利用しようと言うアイデア自体はTwitterで二月の終わりくらいに見ていたのですが、左翼小児病、もとい、政治的潔癖症(笑)が多少残ってる私からすると「新自由主義者が現業や現場を叩きのめす為のおもちゃを果たして利用していいのか」と言う葛藤がなかったといえば嘘になります。
しかし、表現規制・とりわけ児童ポルノをとっかかりにした書籍やネットへの検閲の強制*1の法制化・条令化と言う問題について言うと、我々規制の結果の悪い所しか得られない得られない利害当事者としては非常に拙い状況が99年の児童ポルノ・買春禁止法以降連続して続いていて、特にこの数年は与野党内の強硬な反ポルノ原理主義者達が既成事実作りに躍起になっている。