月よお前が悪いから…のアーカイブ

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アパグループ・広報誌2004年04月号より

日本を語るワインの会今年初めての「日本を語るワインの会」が二○○四年二月十三日、代表邸にて行われました。
先日のアパホテル〈横浜関内〉の起工式にもご出席いただいた松沢神奈川県知事ご夫妻、外交官出身の城内代議士、平沢勝栄夫人の平沢あや子氏、アメリカから帰国したばかりの阿部教授、ラジオたんばから変わったラジオNIKKEIの宮崎氏をお招きし、「日本という国」に関する話題で大いに盛り上がりました。

中央官僚の天下り知事では地方行政の改革はできない

 選挙は一生懸命やらないと落選する。ただアナウンスメント効果が怖い。
がんばって運動していて、接戦に持ち込んでも、最後に「○○氏、有利」との報道がされると、
「じゃあオレが行かなくてもいいや」という有権者が現れ、結局は落選するというケースが多い。
最後まで「危ない」と言われた人の支持者がなんとかしなければと応援に駆けつけ投票依頼に駆けずり回り、結構当選している。
出口調査はもちろん信頼できるが、選挙前の世論調査は危険だ。このアナウンスメント効果があると、本当の民意というものが、選挙結果に反映されないのではないだろうか。

 接戦を制して、当選したとしても選挙に勝ったことは自信にならない。なぜならば、選挙は一回一回状況が異なるから。
また、小泉首相は三年はやらないと言っているが、いつ解散してもおかしくない。
選挙の準備を怠らないようにしながら、本業の国会活動も行う。絶えずお尻に火がついた状態で仕事をしているのが、日本の国会議員である。

 中央の官僚同様、地方官僚も弊害だ。地方議会も地方官僚も改革反対派。なぜなら、改革が実行されると既得権益が侵されることになるからだ。
横浜市の中田市長も一部からは、猛烈な批判を浴びている。改革者は必ず誰かから悪く言われる。
その一方で、熱狂的な支持者が支えてくれる。今までのような市長、知事だと地方行政は、何も変わらないのだ。
全国の知事を見てみると、自治省出身の人が非常に多い。これは地方の人々が中央とのパイプを求めて、中央官僚を支持してきたからだ。
中央官僚がすべてのお金を一旦集めて、分配することによって、権力を握っているから、このようなことが起こる。
小さな政府を実現して、官僚の権力を縮小していかなければならない。

戦後の総括がないから憲法改正が進まない

 今の日本国憲法は、アメリカの押しつけ憲法であるというのはもちろんのこと、占領時に十分議論もせずに制定された「やっつけ憲法」だ。
改正ではなく、むしろ一から作り直す必要がある。日本という国のすべての規範の元となるものだから、格調高く。
例えば文語調にしてみるのはどうか。子供にわからないという人もいるが、それなら全部ひらがなにしなければならないのか。
子供にわかる、わからないは憲法の第一目的ではない。これをもって批判するのは本末転倒の議論だ。その文語調の格調高い言葉の中に、
策定者の魂を込めて、環境権であり、敬老の心であり、弱者を守る精神などをしっかりと盛り込むというのはどうだろうか。
 憲法が制定されてから五十数年、一言一句変えないというのは世界的にみても、おかしなこと。制度的にも改正できない仕組みになっている。
憲法を一旦廃止して、新憲法を作るという考えが良いのではないか。石原都知事は、今の憲法は異常な状況で作られたので無効であり、
明治憲法を改正して新しい憲法にするのが筋だと主張されているようだが。
憲法第九条の問題で国論が分かれているというのは、先の大戦の総括ができていないからだ。これが不十分だから何事も先に進まない。
ドイツはナチという歴史を背負い、周囲はかつての敵や占領した国ばかり。周辺国との外交を行う第一段階として、まず徹底した第二次大戦の統括を行わざるを得なかった。
そしてEUに加入、現在のヨーロッパでの地位を築き上げている。日本は東西冷戦下でアメリカの庇護の下で戦後を過ごしてきたため、未だに総括ができていないのだ。

台湾の総統選挙では、日本は陳水偏を支援すべき

 イギリス、アメリカなどのアングロ・サクソンの統治法はいつも「デバイド&コンカー」すなわち分割統治である。
インドとパキスタンもしかり、イスラエルパレスチナもしかり。先の大戦後、日本はドイツや朝鮮半島のように
分割されていないと思われがちだが、それは違う。日本は台湾、朝鮮、北方領土、沖縄、そして今の日本と分割されたのである。
 今年の三月二十日には台湾で総統選挙が行われる。この選挙で現総統の陳水扁氏が敗れるようなことがあると、独立派が大きく後退し、
台湾が中国を併合し、シーレーンの自由な航行が阻害され、日本にも大きな影響が出るかもしれない。その意味で陳水扁氏を、
日本は大いに支援すべきところだ。ところがアメリカは台湾を取引のカードに中国に恩を売り、北朝鮮問題の解決に中国の力を借りたいと考えているふしがある。
日本もアメリカも自由と民主主義が大事というのは同じだ。中国と台湾を見て、どちらに自由と民主主義があるのかは、誰の目にも明らかである。
しかし分割統治を指向するアメリカは、日本と台湾と韓国が再び接近して、一つになるのが怖いということで、台湾が独立することも中国の一部になることもない、現状維持を望んでいるのではないか。

今の日本に欠如している愛国心を取り戻す

 日本の文化、考え方は諸外国から見ても賞賛されるものが多い。なによりも、謙譲語という自らへりくだる言葉が存在するというのは、他に見られない文化だ。
そして真正面から他人と争うことを好まない、平和な国民性だ。言葉で言えば、一人称を表す言葉だけでも「私」「自分」「オレ」「わし」などたくさんある。
相手や状況に応じて使い分ける、細やかな日本文化を象徴していることだ。韓国では、近年ハングルへの移行が激しく、漢字を街角で見ることが無くなってきた。
漢字の読み書きができない人も、増えているという。中国でも「簡体字」が作られ、漢字は簡略化。昔からの漢字は、日本と「繁体字」を使用している台湾にしか残っていない。
さらに日本には表意文字の漢字に加えて、表音文字の「ひらがな」という便利なものがある。これも先人達の知恵が感じられる、日本の偉大な発明だ。
 そんな素晴らしい文化を持つ日本なのに、今、「愛国心」という言葉が使いづらい。なにか軍国主義的に解釈されることが多いからだ。
愛国心を育てる環境もない。家庭でも、学校でも教えない。日教組が否定しているために、学校では「日の丸」「君が代」もなかなかお目にかかれない。
近頃は文部科学省の努力もあって、小学校でも国旗掲揚君が代斉唱が行われるようになってきたようだが。「愛国心」はどこの国の人でも持っている、当然の気持ちである。
これをしっかり育てていかないと、国民としてのアイデンティティのない、根無し草のような人ばかりになるのではないか。
 国旗、国歌問題はきちんと法律を制定すれば、国民はそれに従い、解決していけるかもしれない。マスコミは大反対するかもしれないが。
しかし日本は議会制民主主義の国である。国会で決めたことが民意の反映なのだ。マスコミが言う「市民の声」というのは、決して国民のマジョリティの意見ではない。
 マスコミが第四の権力として機能しないと、健全な民主主義は育たない。今の日本のマスコミは良くない。「売れれば何をやっても良い」という考えが前面に立ち、
辻元清美元議員に対して行ったように、持ち上げて視聴率を稼ぎ、叩いてまた視聴率を稼いでいる。日本と中国と韓国は、隣国として外交上の綱引きを繰り広げているが、
それぞれの国のマスコミのスタンスが違う。人民日報などの中国の報道機関はイコール政府。政府と異なる意見を延べることは、あり得ない。
韓国にはフリーメディアが存在し、普段は政府批判も展開するが、いざ有事という場面では、前面的に政府を支持して、日本を攻撃したりする。
では日本はどうか。国益に関わる事件に関しては、一貫して政府への攻撃ばかり。いくら報道の自由とはいえ、外国とのきわどい交渉を行っている最中に、
内から政府を攻撃するというのは、おかしいのではないか。

歪められた歴史ではなく正しい歴史教育

 靖国問題などでのアジア諸国の非難に対して、日本は反論しなければならない。しかし教育がそうはなっていない。偏差値教育で暗記重視。
ディベート教育がなされていないから、何が正しいか、議論して自分の力でつかむことができない。議論の中でしか、良いものは得られないのだ。歴史教育もされていない。
 本来は国の、民族の誇りを教えていくのが歴史教育。どこの国でもそうである。
日本では日教組が、「日本は悪いことをした悪い国。どうやって謝りながら生きていくか」ばかりを教えている。例えば朝鮮からの「強制連行」。
そもそも「強制連行」という言葉自体、日韓の接近を危惧した朝鮮総連が戦後作り出したもの。事実は、併合により日本領土だった朝鮮における、民間企業の自由募集だったのだ。
また韓国からの強制徴用が、朝鮮半島出身者は昭和十九年まで兵役を免除されており、
むしろ日本人よりも優遇されていた。この事実をねじ曲げ、日本にやってきた朝鮮の人々を、全て無理矢理連れてきたことにして、
非難を繰り返しているのである。またこんな事実もある。先の大戦での戦死者は、朝鮮人よりも日本人の方が圧倒的に多い。当時の朝鮮人と日本人比率を勘案しても、
日本人の死亡率の方が格段に高いのである。アメリカが黒人部隊を最前線の激戦区に送り込んだのとは異なり、朝鮮人よりも、日本人自らが危険な前線に出ていたことを意味する。
このような事実を、マスコミは国民にしっかりと伝える必要がある。

国際人になるためにはきちんと日本人になる

 日本を真っ当な国にしたいと言うと、反動と解釈されることが多い。そしてすぐに「国際人たれ」と言葉が出てくる。だが、今、日本に必要なのは、まず「日本人たれ」ということ。
これがあれば、日本はもっと伸びる国になるのではないか。東京での「お前は石川県人か」という会話が、海外に出れば「お前は日本人か」と
会話に変わる。海外に出なければ、日本人としての自覚ができないのだ。他民族国家であるために、アメリカ人は星条旗を掲げて、常にアメリカ人であることを意識していなければ国がまとまらない。
日本人は意識しなくても、自分が日本人であることのアイデンティティを疑うものはいない。ここに自覚の差が生まれている。左翼の人間も、海外から日本を見れば、考え方が変わるのではないだろうか。
 日本人の英語力が上達しないのは、なぜだろうか。一つには生活に必要がないことが挙げられる。日本にいれば日本語で十分用が足りる。また自らの文化水準が高いと思うと、
なかなか他国語を覚えないということもある。アメリカやフランス、ドイツでも、自国語しかできないという人は多い。
「沈黙」を尊ぶ日本では、これまで語学を含めたコミュニケーション能力を重視してこなかったということもある。韓国人は他人よりも上に行こうという競争心をむき出しにするが、日本人は露骨には出さない。
語学は露骨さがないとうまくならないものである。
 日本の英語教育を改革するためには、何を行えばよいのか。英語教育を最も左右しているのは、大学入試。例えばこの大学入試をTOEICに変える。これだけで実践的な英語を学生は学ぼうとするだろう。
また英語教育の根本として、「日本人が外国の人に対して、英語で日本のことが説明できるようになる」ことを目標にすべきだ。かつては英語の授業はアメリカ文化を学ぶ時間だった。
そうではなく、日本人とは何かを考え、日本についての知識を持った上で、それを英語によって伝えられるようにならなければならない。
かつてはアメリカのことを「メルティングポット(人種のるつぼ)」に例えたが、今は「サラダボール」と言われている。人種同士が溶け合うことをしない。ベトナム人ならベトナム語をきちんと学び、
アイデンティティを確立した上で、その考え、知識を英語に平行移動するのが通例となってきている。海外で暮らす日本人でも、子供が英語を話すことができるようになるのは良いが、
日本語も半分、英語も半分と中途半端になってしまうのが怖いという話もある。
自分の国のことをきちんと話すことができないというのは、海外に出たときに恥ずかしいことであるし、自らのルーツを持たないというのは、弱点でもある。
まずはしっかりと日本人となり、日本語で概念を理解する。その上で英語に平行移動。そうすることによって初めて真の国際人になることができるのだ。