教育改革と言うと(11/5記:11/4分から移動)
まずは英語を小さい頃からやるとか道徳がどうとか下手すれば愛国心とか、そういう方向に行きがちですが、私はもっと根本的な問題をどうにかしないといけないのではないかと思う。
それは、論理的に表現する能力だったり、自分独自の思考を行う能力を身に付ける事だったり、自制や自戒する能力や謙虚さだったりするのではないかと思います。
この部分が現代日本人が非常に弱い部分だし、現代社会・特に企業から歓迎もされていないのだろうけど、日本人が真に国際人となるには、必須の物になると思います。
- 「全く文化の違う連中」とコミュニケートするには、まず自分の言いたいことを筋道立てて表現できるように頭を切り替える必要がある。
- その上で、当然相手もリアクションを返してくるから、そこで自分の持つ物=自分で思考する力が試される
- そして、議論などになれば、適度な所でヒートを抑える・もしくは逃げる能力が決裂を招かないで済む道になることが多い。ましてや直に顔を会わせる場合は…
まだ、まとまったことを書けないでいますが(苦笑)、ひらがなも祿に書けない小学校低学年の子供がローマ字仮名うちでパソコンいじっていたり・乳児の頃から英語を教えようという親が奨励されたりしているのを目の当りにしていると…(;´Д`)
インターネットに噛んで15年近くになりますが、英語なんて所詮道具です。本当に必要なのは上記三つに基づいた異文化とのコミュニケート能力ですなどと感じてしまう訳で。
「チームアメリカ★ワールドポリス」*1で「東アジア人がlとrの区別をできない」ってのが*2馬鹿にされていたけど、まぁ、そんなのはきついジョークの種程度に思っておけば良くて、コンプレックスを持つ必要は無い。
今の日本人の多数はコミュニケートする能力が低いような気がする。
外国語が怖ければスペルなんて多少間違っていてもいいのです。
英語なんて方言ばっかしの言語なんだから、今は日本流の英語しかできないんだと開きなおって、とにかく始めること。
英語の上手下手なんて、その後、コミュニケートしていく中で謙虚に他人から学べば済む。
何というか、今のような「思考力を奪う教育」が小学校から社会人に至るまで蔓延している中でインターネットというインフラに支えられたコミュニケーション方法が広まっていく現状は私から見て非常にいびつに見える訳で…
いびつなのが最悪の形で出たのが例の佐世保の「NEVADA」殺人事件だとかんがえていくと、今の「日本が一番偉くなければならない」的な教育や社会の方向性自体を変えないと第二第三の「NEVADA」は現れるだろうし、外国と日本がコミュニケートしていくのも容易では無いように思います。