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生活保護改悪問題での反貧困運動の「決定的敗北」に関して

(Facebookの私のノートから転載)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130531/k10014994441000.html
生活保護法改正案 衆院委員会で可決 5月31日 20時39分

生活保護の受給者の自立支援策や不正受給の罰則を強化することなどを盛り込んだ生活保護法の改正案は、衆議院厚生労働委員会で採決が行われ、一部修正のうえ賛成多数で可決されました。

生活保護法の改正案は、受給者の増加に歯止めをかけようと、受給者が保護から脱却した場合に新たな給付金を支給するなどの自立支援策や、不正受給に対する罰則を「3年以下の懲役または100万円以下の罰金」に引き上げることなどが盛り込まれています。
改正案には当初、生活保護を申請する際に、資産や収入などを記した書類を提出することが定められていましたが、「申請が門前払いされるおそれがある」という指摘を踏まえ、「特別の事情があるときは、提出しなくてもよい」などとする修正が加えられました。
そして、修正された生活保護法の改正案は、31日の衆議院厚生労働委員会で採決が行われ、自民党民主党公明党みんなの党の賛成多数で可決されました。
また、31日の委員会では、仕事と住まいを失った人に対し、家賃を補助する制度を恒久化することなどを盛り込んだ「生活困窮者自立支援法案」が、自民党民主党日本維新の会公明党みんなの党の賛成多数で可決されたほか、与野党がそれぞれ提出していた「子どもの貧困対策を推進するための法案」を委員長提案の形で提出することが決まりました。
これらの法案は来週の衆議院本会議の採決を経て参議院に送られ、今の国会で成立する見通しです。


 今回の敗因は一つに集約できると思う。

 それは、大衆に対して自分と関係があることと思わせることがなかなかできず、社会悪か何かのようなタームでしか取り上げさせることができない所で反対運動側が右往左往してしまったことだと思う。

 生活保護問題の運動の特徴としては、

  1. 非常に当事者主義である。逆に言えば、第三者がどう見てるかに対して極めて無頓着
  2. どうしても人権論に偏るので、大衆の嫌悪を招きやすい

 この二つがあるように思う。

 まず、2.に関して書いておくと、
 日本人に人権意識がないというのは自明のものだし(そもそも義務教育でマトモに教育してないどころか未だ管理教育の様な反人権的な教育が横行してる)、そういう中ではある程度大衆を脅して恐怖に陥れてでも状況への認識を深めさせるよりないのだが、そういう手法を嫌う人ばかりがこの問題の改悪反対では目立つ。
 そして、そういう脅していく手法からしたら、改悪を目論む人々のほうが上手で、「財政危機」やら「(明らかに事実に反する・虚偽の)不正受給の列挙」やらをして、「減らされても仕方がない」と言う空気を醸成することに成功してしまった。

 1.に関して書いておくと、当事者に寄りそいすぎる上にその当事者が非常に利己的であるが為に、この問題がどのくらい波及するかという視点を具体化できず、「誰でも当事者」であるという状況認識を大衆に構築できていないことが大きい。
 真面目な話どの位の議論が当事者と運動の間であるかすら外部からはわからないし、結局当事者に寄り添うことが「浮世離れした運動」と言うイメージを独り歩きさせることにしかなっていない。


 このような事があるのは、反証とできる運動があるからである。
 児童ポルノ・買春禁止法(以下、児ポ法と略す)の改悪反対運動である。
 現状(議員立法にて)衆院に提出されてる改悪案では、

  • 非常に強硬で、諸外国で冤罪や別件逮捕の温床になっている単純所持処罰条項の導入と、
  • 三年後に絵やアニメ等に範囲を拡大することの検討


 が盛り込まれているが、これに対して多くのロビイングや議員への個別の働きかけによって、自民党の法務委員会に差し戻す方向に向かっており、又、民主党から共産党みんなの党まで原則反対(但しみんなの党は一部が賛成かも)と言う状況にある。
 当然、これは、一朝一夕に勝ち取られたものではない。
 この問題は、80年代末期の「わいせつ漫画バッシング」から続いてる問題で、90年代には都道府県の青少年健全育成条例の大幅な改悪(治安立法化)や児ポ法の制定があり、その過程では、事実に著しく反する情報が一部の団体から世界に発信され、「外圧」を根拠に行われた。と言うところがあり、反対運動やそれに携わる人々は左派市民運動の主流派からすら、「女性に対する敵対」「小児性愛者」などと誹謗中傷されつづけてきた。(これは、左派市民派の主流派が、マッキノン・ドウォーキン主義のような反ポルノ思想系のフェミニズムと密接な関係があったからだが)
 その頃(00年代初頭)までは、児ポ法青少年健全育成条例表現規制の問題は、あくまで一部の男性の問題と捉えられてきた。もう少し卑小な言い方をすれば「ロリコンの問題だから自分は関係ない」と言う人が、女性の漫画・小説愛好家ですら大半だった。

 しかし、この問題に反対する人達は、本当に粘り強く・一部のフェミニズムや宗教団体の口汚い誹謗中傷すら耐えぬき、この問題が男性だけの問題ではなく女性の創作物愛好家の権利や女性のセクシャリティをも著しく侵害する物であるのだ。と言う論点を浸透させていった。

 その成果の一つが、10年の東京都の青少年健全育成条例改悪で、完全否決寸前まで持ち込み(最終的に、この改悪を成立させたかった民主党の上層部の一部の圧力で民主党全体が折れた)、検閲的な要素についての改悪の骨抜き化で改悪を押しとどめた事である。
 その背景には、粘り強く問題を浸透させていったことや、非常に経済的リソースが乏しい中で議会等へのロビイングに対する専従者を就けて反対運動(とはいえ、反対運動は一つではなく非常に分散的であるので、一部の運動が専従者を就けているとも言えるが)が頑張ってきた事もあるし、多くはないのかもしれないがけして少なくもない人々の間で問題意識の共有と共に「どうすれば足止めできるか」と言う草の根的な運動論が共有・実践できていた事が大きい。

 このようにしたことで、(今や日本の特徴的な主要産業と化してる)漫画やアニメ等への表現規制の法制化や単純所持の刑罰化は、制定一歩手前の非常に逼迫した状況ながら非常に力強く押し留めている。

 このような「実践」をどの位反貧困運動は出来たのだろうか?
 私は外野で見てきた人間だから書くのは心苦しいが、反貧困運動はあくまで「左翼ムラ」に安住し、そこに居場所があったものだから別に大衆に居場所を求めなくてもよいのではないか。と言う空気が支配してきたのではなかろうか?それこそ、片山さつきがテレビと共謀して行った生保バッシングが表面化してくるまでは、全く安泰であるかのように思って惰眠を貪ってきていたのではないか。
 勿論、個別の問題への対応で一杯一杯なのかもしれないが、それは児ポ法反対運動だって同じようなものだろう。

 そして、当事者と寄り添い続けて浮世離れした感じが抜けてないのも、結局は運動の多くがそういう安住から抜け出してないからではないだろうか?

 運動が掲げる問題意識を大衆化しなければ勝ち目はないし、大衆化するためには見た目が浮世離れしてるかどうかを常にセルフチェックして、浮世離れしてる部分は極力表に出さないようにすることが大事なのではないかと思う。
 その意味で、反貧困運動は運動のありようを考えなおさないといけないのではないかと思う。
 この「敗北」を、運動の主要な人々がどう総括し、今後の運動をどう展開していくか、私は見守りたいと思う。

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