「NEVADA萌え」について考察して見る
(今回の内容は不謹慎かもしれない内容が含まれているかも知れません、嫌悪感をおぼえる方は読み飛ばしてください)
最近、ちょぼちょぼと佐世保事件の殺った側とされる少女*1のファンクラブがネット上などで出来ていると話題になっています*2。
で、ネオむぎ茶バスジャック事件や酒鬼薔薇事件を例にするまでもなく、古今東西の「異常犯罪」には洋の東西を問わず、「行為」や「動機」自体に傾倒する人や事件の捜査過程がおかしいと言う人が現れて出版したりサイトを作ったりするのですが*3、今回の事件については異質であるように思います。
犯行した事を追っかけると言うよりも、殺った側の少女が可愛いから想像を膨らますと言う感じの表現が非常に多くて、少なくない人が殺った側の少女に萌えている事が伺えます。
こういう動きを週刊誌などのマスメディアは不謹慎・不健全と報じますが、殺しかたの議論やったり悪魔崇拝してるよりは、自分の想像の中で「キャラクターとしての個人」を弄んでそれを表に出す方が余程人間の精神として健全に思うんですけど、どうなんでしょうね。