月よお前が悪いから…のアーカイブ

http://d.hatena.ne.jp/artane/ がサーバの関係で消えるようなので、アーカイブします。基本更新しません。

新自由主義がダメな理由-ロシア現代史に学べ。

非常に刺激的なお題ですが…

d:id:ageha0:20090128 より。


かんぽの宿2


(中略)

 族議員はジモトを好む。それは彼らが貧しいからだ。
 族議員はカバンを好む。ジミンのジバンが潤うからだ。
 族議員はジバンを好む。票が集めやすいからだ。

族議員が悪とは思わない。これは構造の問題だ。

族議員は地方の自立を望まない。地方経済が自立的な発展を遂げる時、ジミンのジバンが毀損する。「そんな苦しい思いをしなくても、オカネならトーキョーから取ってきてあげるから!」

彼らはそれで喰っている。カンバン、ジバンを引き継いで、何十年も喰っている。

日本の地方経済は、この「モンスター家父長」に、自立心を奪われている。だが、角栄さんが言ったのは、そんな積もりぢゃないだろう。この先ずっとトーキョーに、喰わせてもらえぢゃ、ないだろう。

同時に、そのカネの流れの中で職を得ていた人々のくらしぶりも劣化した事だろう。腐敗とは常に無自覚なものだ。と切って捨てるのは簡単だが、郵政の手は国鉄の線路より長く、道路公団の高速よりきめ細かい。どこで誰が恩恵に預かってるやら、知れたものではない。

(中略)
したがって、09Q1鳩山問題の焦点は、次の問いに集約できると考える。

土建利権と改革利権。どちらがよりマシか?

この命題(テーゼ)自体がミスリードに誘発されたきらいを感じなくはないですが、それは後にして*1、この文章というのは新自由主義経済を支持してきた人の多くの心情的な部分に忠実に書かれていると思うので、触発して書いています。

新自由主義経済思想とは何であるか?
・表層的には、経済活動の自由と古き因習からの解放
・実態は、新たなパワーエリートによる社会経済の独占、私物化

であると位置付けることが出来るとと考えています。
ここで何度も書いてるようにこれは露骨な前例が1990年代のロシアで行われて、その結果として社会全体が破綻寸前まで行った故事と日本の1980年代以降の社会変化をリンクして考えた時には必然的な帰結となるからでありまして、その部分から見て新自由主義経済思想と言うのは、0.01%の人間の強欲さを政治的に保証する代償に、99.99%の人間を不幸にする・経済的自由のみならず基本的人権に対して足かせを嵌める政治経済思想であり、その経済思想自体が政治の半ば不正を含んだ支援がなければ社会的に生存できない*2物である。と言えると思います。

このルートとなるのはチリのピノチェト政権であり、さらに大本を辿るとカール・マルクスが「資本論」「共産党宣言」を記述した背後にあった1800年代のイギリスの資本主義社会であったのですが手元に資料がないのと70年代当時の南米に対する関心が薄かった*3事もあって、専ら1990年代ロシアの政治経済=オリガルヒが政治と経済を独占していた時代にその範を取っていきます。

以下に引用する講演サマリーは全文がテキストでありますが本論向けの要点をかいつまんで引用します。


http://www.jetro.go.jp/world/russia_cis/ru/others/p2003122501.html

1.「ユコス」事件とロシアの政治状況

1)ユコス事件の政治的意味
急変した政治状況
今年の夏辺りまで、プーチンは再選され、議会は大統領、クレムリンの言うがまま、経済は石油次第で、当面は政治も安定、かつて議会内で大きな力を持ち、大衆動員力をもった共産党も勢いがない。したがって、ロシアの政治はどちらかと言えば退屈というに近い状況だった。ところがユコスをめぐる事件で状況は一変した。

(中略)

残っている内部応力

このようなジレンマが生じた原因は、1995年ころに行われた大規模な私有化、払い下げが違法な行為であることである。「革命」後の新秩序(革命後の新憲法の制定)が制度的に確立した後になって、こうした大規模な犯罪行為が行われたことにある。
そのため、これは革命と新憲法制定によって清算されない。「革命」は91年のソ連解体、ソ連共産党支配の解体であり、革命後に成立した政権が新しい民主的な法と秩序を制度的に樹立したのは、93年末の新憲法制定であった。ところが、新憲法に定める民主主義と法治の原理とに著しく反する私有化をめぐる政府ぐるみの汚職と横領の爆発的な連鎖がピークに達したのは、95 年以後のことであった。しかもそれらの事件の主たる関与者(かつ受益者)は、まさに新ロシアの民主体制づくりにたずさわった民主派の陣営に属する人々であった。
その中の一部の人間が大きな受益者となり、他の人間はその受益者の下で部分的な利益を享受する立場にあり、あるいは、政治的、社会的にそのプロセスを支持してきた。これに対する国民各層の怒りは当面発揮する場が閉ざされているとはいえ、冷え切ったわけではない。この大規模な犯罪的な私有化は、ロシアの社会で今のところ表面化していないが、内部に大きな応力を作り出していた。プーチン時代を通じて、この内部応力が解消されなかった。

(後略)

1990年代末期、大不況と戦争の嵐が吹きすさぶロシア社会の分析で同様の論調は見られましたが、この2003年7月のユコス事件を契機に、日本でもこの認識は一般化していたと思います。
それはさておき、これを日本の現代史に当てはめると根っこは中曽根臨調であり*4、それを爆発的に発展させたのが森-小泉政権下での新自由主義を信奉する一部官僚・政治家やそれと結託した経済界の意向であった事を踏まえる必要があると思います。
ここでも、主に中曽根政権下での国鉄労働者バッシングに始まり小泉政権下での「抵抗勢力」で一つの究極の姿を曝け出した、意図的に社会の仮想敵を作る事で自己の政策の矛盾に気づかせない・気づいたものを合法的に抹殺する「見えない恐怖政治」が貫徹されるためにこの仮想敵がわざわざデッチ上げられてきた事を今こそ直視する必要があると思います。
要は、我々は自滅のために二度騙されてきた。その結果として今の格差社会がある訳です。
この状況で、あくまでも仮想敵を設定し、それから富を奪い・独占するためだけのために戦う者の示すビジョンにある種の仮想自由を見てそこに全ての自由と富が約束されてると思うのは良く言えばお人好し、悪く言えば知的な怠惰甚だしいとは思います。
 とはいえ日々の過酷な労働と搾取にさらされている間に集団ヒステリーに対する根本的な危機センサーを破壊されてしまった少なからぬ人々の事は非難できないとも、思うのです。
 彼らすら、実は新自由主義が持つ政治的経済的な暴力性と搾取によって人間として壊されてしまった犠牲者であるのだから

その意味で、新自由主義経済を推し進めるために恐怖政治すら厭わなかった小泉純一郎と言う政治家・ファシストは断固として断罪されるべきだし、それと同時に、中曽根康弘という大日本帝国青年将校から政治家になり上がった人物はより強く断罪するべきではないかと思います。
(つづく)

*1:と言って書かないこと数知れず

*2:他の経済思想が全てそうであるように

*3:ここはなんとかしなきゃいかん罠

*4:これは日本に新自由主義経済思想に基づく政治体制を定着するために行われた確信犯的な猿芝居であった事は気がついていない人が多いようですが、当時を生々しく生きた者としては無視できない