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要は、生活と密着した闘争が求められるはずの左翼の側が、社会の底流で蠢く貧困や暴力を見抜けず・男性や優等生的なものを嫌悪していた女性などを運動の場から排除し続けて、結局自分が「弱者」と思ってる人たち=フェミニズムを受け入れる女性や外国人といった人たち以外は運動に巻き込まなかった。そもそも、運動が関わることが重要であると見ることすらできなかったと言うことです。
繰り返しになりますが、「二重の疎外」が男性や優等生的なものを好まない女性に向けられ続けてきたのは、その運動の主体が70年安保〜80年代成田闘争を戦ってきた人たちで、彼ら彼女らの持っている基準が低すぎて、世間で貧困や疎外に喘いでいる人たちの基準についていけなかった。
排除しなくても過剰に清貧を求めたり・自分のイデオロギーを押し付ける事に無頓着過ぎて、最終的に相手を非難したり見下したりとかとなって人を離していくような行動を取りすぎていた。