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この事件は、第四インターの分裂と崩壊を招いたのみならず、日本の左翼運動内部に「北原派につくか・熱田派につくか」と言う対立軸と同時に「フェミであるか・非フェミであるか」と言う対立軸を主に熱田派についた人々の中で形成していきました。*1
これが、80年代終盤からのフェミニズムの盛り上がりや性暴力問題へのコミットから極度のセックスヘイトを社会に強いることを新たな「踏み絵」とする事に繋がっていくわけです。
当然右の側からのフェミニズムというのも、左翼系フェミニズム*2の思想的影響を大きく受けているし、彼女ら彼らが右派である所以は、今で言うところの宗教右翼の思想や道徳観に共鳴していることでしかなくて、90年代半ばまでの左翼フェミニストが成田強姦事件の後の断裂に依拠してるのであるならば、右派フェミニストは宗教右翼の持つ清教徒的な潔癖さに依拠してる所でしか違いがない。
故に、エクパット東京のような統一協会のフロント組織が左翼系の女性運動と共闘してポルノ排除やセックスヘイトに邁進するのは当然の帰結でもあります。