月よお前が悪いから…のアーカイブ

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さて、杉並で「つくる会」の歴史教科書が採択されたようだが…

2ちゃんのスレで見たときには半信半疑でしたが、共同通信の速報で裏を取りました。*1
山田区長の強引さと今日に採択が延期になる時点である程度は予想していましたが、教育委員・特に教育長の苦渋の選択を汲み取った上で、今後当分杉並区の子供たちがあのようなヨタ本で歴史を学ばねばならないことへの憤りと山田区長の独裁者的手法への怒りを表明します。

つくる会」教科書採択に反対する側のHPに興味深いメッセージがあったので、遅まきながら引用します。

http://members.jcom.home.ne.jp/kyoukasyo/htm_05/nikki.htm#a0811b

杉並で育った若い女性からのメール 8月11日(木)

☆杉並で育った若い女性からのメールが届きました。少し長いけれどぜひ読んでいただきたいのです。教育委員のみなさん、「つくる会」教科書も悪くないんじゃないと思っている方もどうか読んでください。

『原爆の効果を正当化する人々に囲まれた私に、ノーモアという言葉を思い出させたのは ---高校生留学の体験から---』  30代、杉並区公立中学で学んだひとり

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 私も杉並区内の小学校中学校高校で育ちました。高校生の時にアメリカの普通高校に一年通い、知ることの大切さを経験しました。戦後45年目の年、1990年のことです。
 今、歴史教科書の採択を巡る議論がありますが、「つくる会」教科書には、知らせないことがあることに、疑問を持ちます。知らせないという選択、知らせることと知らせないことの区別の基準は、なんでしょうか。
 「広島長崎の原爆の話は誰でも知っているのだから、そんなものは削ったって良い」
 「自分の国に自信を持つ、愛国心を育てたい」
 「子供には明るい未来を見せたいから、嫌な歴史を教えなくてもいい」
という理由で扶桑社版教科書を賛成されている方々がいるようですが、それらに疑問を持ちます。高校生の時のアメリカでの体験から、知っているというのはどういう事か、自信、愛国心、さらに国際化と関連付けた考えを書きたいと思います。
 教科書を、「知っている」「国に対する自信」「愛国心」という言葉で選ぶ人たちにも、それらはどうしたら得られるものなのかを、もう一度考えて欲しいです。

 先に書きましたように、私は杉並区で育ちました。区内の高校を休学してアメリカの北部の小さな町の公立高校に一年間通いました。私の他にドイツとオーストラリアからの留学生がいる以外はアメリカ人生徒だけの学校でした。アメリカ人の受ける社会科の授業も受けました。
 戦争についてアメリカ人の高校生と話したときのことです。アメリカ人が思っている事と、日本人である私が当然こうだろうと思い込んでいる事とが、あまりにも違っていることに驚き、恐怖を覚えました。現実に外に出て、異なる意見を向けられ、日本という自国に対する愛国心を崩そうとされる中、自分を支えたものは、「知っている」ということでした。
 知っているというのは、何を知っていれば知っている事になるのか、と考え、愛国心は、悲しい歴史を知る事によってそがれるものではないことを、実感する体験でした。
 自信は、知らないという事実を突き付けられた時に、崩れます。自分の国については、できるだけ多くの事を知り、考え、その考えを述べてはじめて、自分の国への愛国心を自他共に認め、国際間の相互理解を生み、国際化も実現する、ということを体験しました。

それは次のような、ある昼休みの事でした。

  私の目の前にいるアメリカ人の高校生達は、原爆を2回、1945年に落とした事を知らない!
 ヒロシマはかろうじて聞いた事があっても、ナガサ・?聞いた事もない!
 驚きました。広島長崎のことをもう一度彼らに言うと、
 「しかし、そのお陰で、戦争は終わったのだ。お前達が始めた戦争を終わらせてやった。」「そうだそうだ」と、言われました。
私は考えました。ごく短い一瞬に全神経を逆立てて、いろんなことを思い出そうとしました。

 「じゃあ、また戦争が始まった時に終わらせるには原爆水爆が効果的ってことでいいのか?」
 「人が死んだ。何人?とにかく大勢の一般市民。だれかれ構わず」
 「階段で影だけを残して死んだ人がいた。そんな写真を見た事ないのか。」
 「なぜ3日後にまた落とした?しかし一回で充分だったじゃないかなどと言ったら、一回は正当だったことになる。違う。何を言えばいいのか?」
 「私は何を知っているのか?」
・・・教科書を思い出そうとした。第二次世界大戦が終わったページ。キノコ雲の写真。
 私は習ったはずだ。戦争はいけないとはっきり言える時代が終戦で訪れたと習った。
 ケロイドの話、健康診断されているところを録画された映像をテレビでも見てきた。
 そんなものは、この国にいると、見る事がないってことか。
 そんなことがあっていいのか!しかし待て、私は被爆していない。被爆者なら、今なんと話すだろう。責めるように言うだろうか。それではここで争いが始まる、それは意図していない。
私は落とされてない。私は自分の国に落とされた。それを他の国の人が知らないのは、落とされた国の責任だ。もう一度使われる事があったらそれは落とされた国の人間の責任だ。私の責任だ。そうだ。今ここにいる人にだけでも訴えられる事は、ノーモアヒロシマ。ノーモアナガサキ

 これだけのことを一気に考えた後、彼らに言いました。
 「一度でも原爆投下はあってはならないことだった。だからこれ以上あってはいけない。絶対にいけない。」
アメリカ人の高校生もノーモアに大いに同意しました。

 「だから、もうつくって欲しくない」
 しかしそれはまた、違う圧力が向いて来ました。あ?私は、この国に護ってもらっている国から来たと言われている、そう感じました。

  この、切迫した状況を、教科書を書く人たちにも、想像して欲しいのです。
 日本についてあまりにも知らない外国人たちと話す時の、悔しさ、はがゆさは、愛国心だけでは切り抜けられません。それだけでは涙か暴力に頼るしかなく、それは平和ではありません。
 知っていること、それによって考えた事、それでのみ切り抜けられるのです。
 日本について良い面を知らなければいけない、そして不幸な面も同じです。
 原爆の効果を正当化する人々に囲まれた私に、ノーモアという言葉を思い出させたのは、原爆はあんなに悲惨だったじゃないか、という憤りでした。
 知らせなきゃいけない、と思わせる程の事があったことを、学んでいたからです。

  国際化が叫ばれる度、思い出すのも、この時のことです。
その昼休みの同級生との会話で、ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキを思い出した時、これこそ日本で習っておいた英語の中で、最も私の窮地を救った英語だったと思いました。
 アメリカ人が、私をここで、ひとつ、認めた、と感じました。これが国際化です。

 自分の国をバカにされて、笑ってyes yes では、とんでもない。
 自分の国を知らなければならないし、自分の考えを言えなければならないのです。
 あの時ノーモアを必死に思い出したのは、原爆が悲惨であることを習っていたからです。

 日本の歴史をもっと知っておきたかったと思ったのはこの時だけではありません。
 12/8、学校の廊下で、私は「敵国」という言葉を初めて身近な言葉として感じました。
 いくつもの目で見下ろされ、「今日は何の日だって聞いてんだ!」という勢いでした。
 英語ではシンジュワンコウゲキではなく、パールハーバーですが、発音がまるで違います。
 聞き取れない私にアメリカ人の同級生達はいら立ちました。
 あ?私は、なんて所に来てしまったのだ。と、本当に「敵」という感覚を突き付けられました。
 原爆投下の日と終戦の日だけでなく開戦の日という日をもっと理解しておきたかった、と、危険すら感じたのです。

  日本国内で考えても、「原爆のことなら誰でも知っている」という理由で教科書からさえ、深く学べないのは、知らなくてもいいことと認識されるようにならないでしょうか。
 歴史事項として知っているだけでは、平和に辿り着く糸口を捜せないです。

  最後に、深く知り、考える歴史授業になることを願って、私の思うことを書き添えます。
 アメリカの授業で教えられたアメリカ史は、ヨーロッパからの移住・開拓の歴史からでした。同級生と日本の古いものの話をしていて、どれくらい古いかを聞かれ、それが何百年の単位であることを聞くと、アメリカ人の高校生は感嘆の声をあげ、「その頃私たちの歴史は無い!」と、羨望の目を向けました。
 日本で習う歴史は千年の時を越え、20世紀を習う頃には、年度末が迫っています。
 科目として、ある時期以降の歴史科目とそれ以前の歴史科目を分け、大切な自分の国の長い歴史を、考えながら学ぶことは、今後、検討されていかないでしょうか。

非常に同意します。
日本のいい所も悪いところも受け入れてこそ、初めて日本と言う「場所」*2を愛することが出来るのです。今、生きている人、昔生きていた人、そしてこれから生きる人を愛することが出来るのです

敢えて、今回の茶番劇に荷担した「つくる会」・山田区長・そしてネット右翼の諸君にいいたい、
まがいものの愛国心を植え付けて、貴方たちは未来の日本人に責任を持てるのですか?
権力で特定の考えを押し付けることで日本を破壊していることをいい加減わかってほしい

と。

*1:これを書いている、8/12の13:00には新聞などの報道系サイトに詳しい記事が出ていないため

*2:「国」と書くと国体と考える人たちがいるので、敢えてこう書いた