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確かに、フェミニズム運動もその根底にある旧来の(後進的な国家地域での)男女関係と言う物はそうでしょう。
しかし、現代の日本もアメリカもそんなに単純ではない。男性の女性に対する(ステロタイプな)この様な視点と女性が男性に持つ視点という物が極めてトランスペアレンシーになりつつある。
詰まりは、
- 女性が男性を所有する傾向も強まりつつある*1
そう考えると、このような人権団体の認識は非常に浅薄で表面的であるようにすら見える。
我々が抱え・後進国に押し付けている病理とは、実はもっとメタに性別や嗜好を越えて捉えられなければならないのではないか?
この場合に限らず、グローバリゼーションに代表される資本主義の進歩は要は人間のモノ化・カネ化を究極の更に先まで推し進める事がその形態である訳で、ポルノグラフィーが資本主義的であるからそのように「女性をモノ化」しているのみならず、我々の・男性女性問わずそれぞれの関係性自体が資本主義の進化によって/専ら資本側の要求によって一個のモノへと還元され続けてる事が一番の病根ではないか。
つまりは、ポルノグラフィーはその病根が露呈した一表現に過ぎず、これを取り締まっても何ら事態は改善しない。逆にそこに付きまとう道徳の押し付けや暴力の禁圧はより大きな暴力を起こす為の芽にしかならないのであって、事態を悪化させる新たな病根になりはせよ事態を解決する特効薬には絶対になり得ない。
詰まりは、この、フェミニズム・ウーマンリブ運動が急速に前進したのと期を一にして一期に進んだ資本主義の高度化・無制約化*2にこそ全ての病根があり、そこを解体・改善しないことには幾ら表層に現れたポルノグラフィーを取り締まっても無駄どころか目の前の抑圧が増やされた男性・女性によって社会の破壊衝動はより過激化するだけである。そう思うのですが。