人権よりも政治が優先されることを露骨に出している改憲案は、戦争放棄の条文の廃止以上に恐ろしい結果を招く。
既に、自民党の改憲案については id:artane:20051123:1132754580 で言及していますが(もう二年以上前!!)、とりあえず自民党側の「草案」のPDFhttp://www.jimin.jp/jimin/shin_kenpou/shiryou/pdf/051122_a.pdf を読んでおいてください。
それを前提にして二度訴えますが。
- 「戦争放棄」条文の破棄は、論外。目指すべき理性的目標を失った国家や地域が衰退・荒廃するのは昔であればローマ帝国やトルコ、モンゴル。現在進行系の国としてはアメリカがまさに、戦争の拡大によって権威を維持しようとして、逆にぬかるみから出られれ無くなって破滅への道をつっ走った(てる)事を考えると、理想を失った「国家」*1は、理性を失い、カネと権力と保身のために多くの人間を犠牲にすることが当り前になってしまっているのが歴史の必然ではないですか。
- それは、スターリン時代やアフガン侵攻の頃のソ連ノノーメンクラーツゥラ連中であり、イラクに侵攻したアメリカの政軍のタカ派連中や軍需産業の利益代表者であり、ヨーロッパの征服を夢想したヒットラー一派であったのですが。
- 第12条
1. この憲法が国民に保証する自由及び権利は、国民の不断の努力によって保持しなければならない。国民はこれを濫用してはならないのであって、自由には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、公益及び、公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する義務を負う。
- 第13条
1. すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に関する国民の権利については、公益及び、公の秩序に反しない限り、立法その他国政の上で最大の尊重を必要とする。
さて、ここでピンクで引用した部分が「公共の福祉」から「公益及び、公の秩序」となったわけですが、それら「公益」や「公の秩序」を誰が定義してきたか?
定義してきたのは役人であったり政治家であり、それは「法律」や「常例」と言う形で明文化されている訳です。
これらについて我々が裁判などで異義申し立てしても簡単には通らないのが(すこしましになっているからなおさら変えら得ると恐いのですが)現状でして、このように文面をすり替えられれば、我々が持っていた基本的な人権…例えば内部告発のような「良心の自由」の行使であったり、政府や行政への批判を2ちゃんねるの名無しさんで行うようなことも含んでの「言論の自由の行使」であったりするのですが…は、片っ端から無効化されていくのは、大正末期から敗戦までの現在と非常に似ている日本社会の「流れ」を見れば明白です。
ハッキリといいましょう、現在の九条を最前面に出した改憲反対運動では、「北朝鮮や中国の脅威」なるものを煽られておびえている、一般の人々の支持は受けられないし、彼らが持つ現代社会への不満とリンクするとも出来ずに、確実に「負け」るでしょう。
それを回避するためには、「基本的人権」を最大限前面に押し出すべきではないのでしょうか。
九条は一回やられても、基本的人権さえ確保できれば、逆転して取り返すチャンスはいくらでもある。
しかし、基本的人権の根本条件は、一度奪われたら、日本が破滅してふたたび外国の間接統治にでもなるか、革命情勢にでもならなければ、取り戻すのは非常に厳しい。
そのあたりを、特に、憲法改悪に反対している人達には、考えてほしいな。と思います…。