月よお前が悪いから…のアーカイブ

http://d.hatena.ne.jp/artane/ がサーバの関係で消えるようなので、アーカイブします。基本更新しません。

規制推進派のプロパガンダ手法

mixi内、「全員容疑者!児童ポルノの罠」コミュ/雑談質問トピ6に貼られていた、元は多分2ちゃんねるの経済関係の所に貼られていたコピペ…を貼ろうかと思ったけど、どうやら一次に近い出典見つけたのでそちらから貼り直すことにします。

この文章自体は2001年、911自爆攻撃の直後にテレビディレクターの手によって書かれた物のようですが…


http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/director/20011103_010.html

11月3日放送 プロデューサー/原 一郎
【 何が”真実”なのか? 〜テロ事件とメディア〜】

ブッシュ大統領は、今回の「テロ事件」を「NEW WAR」だと宣言しました。「戦争」という捉え方は判断が分かれるところですが、ナポレオンの時代よりナチスドイツ・日本の大本営発表に至るまで、「戦争」というものが、常にプロパガンダ合戦の一面を持っていることは否定できません。そして、我々メディアも日々、アメリカ・タリバン双方から発表される情報を報じることによって、否応なく「情報戦争」に取り込まれていく宿命にあります。

タリバン=悪と断定し、「正義と自由を守る戦い」を主張するアメリカ。「イスラム世界とキリスト教文化圏の戦い」と捉えて「聖戦」を呼びかけるタリバン

戦況や死傷者数ひとつとっても双方の主張は大きく食い違い、何が本当で何がウソなのか…実は伝える立場の私たちにも判っていません。
(中略)
情報操作を研究している明治学院大学の川上和久教授によれば、第2次世界大戦当時、アメリカの宣伝分析研究所は情報操作の研究を行い「7つの法則」を見出したそうです。これを今回のテロ事件に当てはめてみると…


1.ネームコーリング:攻撃対象の人物や組織に対し、憎悪や恐怖の感情に訴えるレッテルを貼る方法

今回の場合、公の場で繰り返される「凶悪テロ組織アルカイダ」「非人道的組織タリバン」といったフレーズ

2.華麗な言葉による普遍化:華麗な言葉の繰り返しで自分たちの行為を正当化する方法           

「不朽の自由」「無限の正義」などの作戦名
「自由と正義を守る戦い」などの発言

3.転換:様々な権威や威光を使って自分たちの目的や方法を正当化する方法
↓                 
報復攻撃の前に国際社会に精力的に働きかけ「国連安保理のテロ避難緊急決議」「NATO集団的自衛権発動の合意」のお墨付き

4.証言利用:尊敬され権威ある人物に自分たちの正当性を証言させる方法

テロ直後、すばやく各国首脳に電話をかけ英ブレア首相・ロシア プーチン大統領ら主要リーダーの支持声明を獲得

5.平凡化:権力者などが自分も大衆と同じ立場であることを強調し、共感や一体感を引き出す方法

テロ直後の現場に私服姿で訪れ消防隊員と肩を組む演説で「我々は・・・」を連呼

6.バンドワゴン:皆がやったり信じていることを強調し、大衆の同調性に訴える方法

ギャロップ社の世論調査で大統領支持率は90%に急上昇、
国民の理解は得られたとして空爆論を加速

7.いかさま:都合の良いことは強調し、不都合なことは矮小化したり隠蔽する方法

現時点で真実は不明だが、前述の「地上作戦大成功」や民間人の誤爆情報など疑わしいものも多いのではないか

戦争時の情報において、何が真実で何がウソなのか?真実は全てが終わってみないと見えてこない…というのは湾岸戦争での教訓です。

この法則、児ポ法や都条例改悪問題に当てはめてみましょう。

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1.ネームコーリング:反対派を無条件かつ無分別に「児童性愛者」「認知障害者」「キモオタ」「犯罪者予備軍」「怖い人々」などなどと言う、レッテル貼りに勤しむ*1

2.華麗な言葉による普遍化:昨年七月の国会で児ポ法を推進する葉梨議員が「ペドファイルとの戦い」と自分たちの正当性を主張した事に代表されますが、それ以外にも彼ら彼女らは「子供を守る」「女性差別と戦う」と言うことを殊更に強調している。

3.転換:国や地方自治体の権威や権威的な団体・マスコミを多用すること。審議会の人選に取り込んで自分たちにだけ都合のいい「答申」を乱発するなどしたり、国際会議での自作自演を行ったり、更には国連の会議の中身を時に歪曲してまで権威付けに利用する。ポリシーロンダリングとも関連する。

4.証言利用:日本ユニセフ協会アグネス・チャンなどとタレントをやたら多用したり、規制派の団体やマスコミが、お抱えの文化人や政治家に「児童ポルノ排除」「性道徳の乱れ」を説かせ、そして規制推進や事実歪曲の裏付けにする。

5.平凡化:多くの場合、「親の立場で」「女として」など、非常に一般的な振りをして世情の不安を煽り、自分たちの思想が如何に中立的で不偏不党であるかと強調し続ける*2

6.バンドワゴン:マスコミにメディアスクラムを組ませて表現規制の問題点を報じる余裕を与えない事で、規制に疑問を抱くこと自体が間違いではないかという不安を人々に与える。毎日新聞の磯崎由美・丹野恒や産経・読売が、飛ばし記事や公平性にかけるソースの取り上げ方を通じて多用してきた。

7.いかさま:表現規制を推進する側は、データの歪曲を恒常的に行っている。性暴力根絶を叫ぶが、ポルノ規制が性暴力を促進していると言う疑いがあるとする科学的検証に対しては無視するか情緒的な罵倒(そんな検証は非科学的だ。など)を行う。

*1:追記:規制反対派の中のある特定の傾向の人々を指して、すべての規制反対派はこうであるという典型的な詭弁。これは、藁人形叩きメソッドにつながる物ですが。

*2:これは、ネット右翼も普通に行う行為である事に注意

一例として、最近盛り上がってる匿名ダイアリーの一文をこの7項目で読み直してみて欲しい

これらの、幾つかが出ているのが、例えば、
http://anond.hatelabo.jp/20100320235739
で始まるやりとりな訳です。
リンク先の最初(元増田)を上げておきましょう。下線や脚注は私の方でつけました。
上記の七項目をこの文章に当てはめると非常にテンプレート化されてるのがわかる。


■規制反対運動をしながら、どんどん敵を増やしてる人たち

私は、「基本的にはこの法案は対象半が広すぎて反対ですが、ただ一般の人たちが恐怖を覚えてしまうような表現があるのも事実かと思われるので、ある程度落としどころを見つけて歩み寄らないといけないよね」というスタンスだった。具体的にどこまでかの線引きをするのは私の独断では出来ないのは確かだが、幼児に向けられる欲望に関してはなんらかの表現規制が必要な可能性がある、とは思っていました。

でも、そういう風に言うと、反対派の人は火が付いたように怒り出す。

「不愉快なものは規制しても良いって言うのか。みんながそういうのはそれぞれあるんだから我慢すべきだろう」と表現の自由を盾に迫るのも、

「こんな絵も違法になるんですよ!良いんですか!?トトロもですよ!?」って絵を見せながら叫ぶのも、

認知障害とか言う方が認知障害www」みたいにおまえだって的な態度で賛成派を批判をして高いポジション取るのも、意味があるとは全然思えない。
挙げ句の果てに、「反対派は全く論理的じゃない。馬鹿ばっか」みたいなこと言って、「怖いって思う女性がおかしい」って叩いてドヤ顔。その恐怖を軽んじるんではなく、真剣に真摯に受け止めた上で、今回の件の落としどころを考えてくれる反対派の人はほとんどいなかった。

勝手にすればいいけれど、【どっちかといえば反対。ちょっと規制はやりすぎ】派だった私は、どんどんあなたたちのことが嫌いになっていっている。そして、同じようなスタンスの人はすごく多いと思う。

あなたたちが、「本当に青少年に影響があるんじゃないか」とか「幼女のレイプ事件の発生率に影響があるんじゃないか」とか「こういう議論になって陵辱表現を声高に守りたがる男性がたくさんいることを怖いと思ってしまう」みたいな、世間一般の小さな子を持つ親や性被害に遭った女性が当然に考えるような気持ちに歩み寄らないで、「そんな風に思う方が馬鹿」と叫んで自分の権利だけを声高に主張するなら、歩み寄れない。

はてこさんの呟いた、女性からしてみれば正直な恐怖心を、あんなに叩く人たちと一緒には戦えません。その「怖い」の言葉に返すのが「俺たちだって、熊やライオン(名前は公権力というらしい)襲われて怖い」「男の俺だって、男は怖いと思うぜ。なら俺は被害者か?」とかって。怖いと思う人がいると言うことを叩いてどうするの。そして少なくない女性が共感する言葉にこの態度はどうなの。

本当は同じ規制反対派だから嫌いになりたくなかったけど、いやなところがどんどん見えていって辛かった。

本当はそういう当然にある恐怖心と、欲望のバランスを取って、世間と折り合ってほしかった。でもきっと無理なんだね。

真摯に向かい合った言葉を上げてくれた有村さんやMK2さんありがとう。すごく心打たれた。

ロリコンの人たちなんだろうけど、ちゃんと向けられる恐怖心とか不安感とかを受け止めた上での発言をしてくれてて、(すごい失礼な言い方だけど)「こういうロリコンの人もいるんだ」と思った。みんながあなたたちみたいだったら、私だって全力で規制反対できたけど、あなたたちの後ろでワイワイ言ってる人たちの「俺は悪くない。世間が俺を攻撃している。理解しない奴らは馬鹿」みたいな独善的な姿勢が怖くて嫌いで無理でした。

私みたいな、中立寄りだったけれど騒ぎに引いて、賛成派に回ってしまう人は少なくないと思う。*1

そして、元々反対派寄りだった人を引かせてしまうあなた方は、元々賛成派の人たちの心を変えたり出来ないと思う。

自分は悪くないっていくら叫んでも、人に不安感を与えているからこうなった。そう感じることを、叩いても仕方ない。

その前提で、じゃあどうやって「不安や恐怖を与えないように」出来るのかを考えて、社会と折り合いをつけていければ良かったなぁ。それは私も表現を守るために一緒にしたかった。

残念です、本当に。

*1:注:ここがこの文章のデマゴーグ性というか嘘を最も象徴してると思う。政治的な論争で「中立」「ノンポリ」と言う言葉はネット右翼などでもプロの、金銭や信仰を糧に動いた人たちが好んで使ってきた。これは、謂わば「5.平凡化」である

どうも、そういう類の恐怖感情を扇動している人たちがデマゴーグとして非常に有能であって恐怖を煽り続けるから、そのデマゴーグに惑わされる人々が後を断たず、結果としてこういう断裂が起こるのだろうという事は思うのですが、
それと同時に、こういう非理性領域での恐怖心を持つような人々に配慮しすぎて、それよりずっと多くの人権・知る権利や多くの自由権を破壊することが妥当なのか。と言う事が現代の我々が乗り越えないといけない問題なのではないかと思うのです。

現代というのは、実は理性が統べてる所は非常に少なくて、声が大きな人々=政治的多数派の思い込みや一方的な正義・善意に基づいて世の中が動いてる所が猛烈にあるのではないか。
そういう政治的多数派が統べて来た社会では、政治的多数派と相違う価値観の人々は無視される。人権についても、非常に低位に置かれる。何故ならば、彼ら政治的少数者は、何千万何億いようとも、声を上げず影響力を行使しないのだから、いないと同じだからです。

そういう、非常に少数の・一つの情念や価値観が全体を支配しなければならないという善意の人々が、その他の人々の恐怖を煽り・愚直に煽られた人たちを取り込んで政治的多数派を形成し、政治的少数派をとことん抑圧してくる。抑圧に対して怒りを上げた政治的少数派はあらゆる蔑称をつけて「社会の敵」とされる訳です。

これが、残念ながら民主主義の皮を被ったファシズム戦後60年間続いてきている日本の現状ではあるのです。

90年代の絶望を経験していると、これほどの明るい情勢はないと見える

しかし、この現状は未来永劫変わる物ではなく、我々が変えることができる物です。例えば都条例にしても児童ポルノ問題にしても、多くの人々はどちらにもつかず/そもそも関心すらない。偉い人たちが一方向に持って行ってるのに対してバンドワゴン効果でなんとなく付和雷同してるだけです。
それを味方につけるには、規制派が多用してきたデマゴーグや印象操作ではなく、誠意と視点の広さ、多様性の保証を我々が示せるかどうかにかかってる。

90年代からずっとこの問題を通じて、民主主義とは何であるかと考えてきた・90年代の連続幼女誘拐殺害事件〜オウムによる地下鉄サリン事件以降のメディアスクラムの中で、どんどんとファシズムが蹂躙していった、あの時代から今に至る絶望を経験した私の眼から見れば、現状は非常に明るく見える。

我々の側・個人的利害*1がきっかけであっても民主主義の維持拡大を望み・しかし80〜90年代のファシスト的な手法に対するアンチテーゼとしての謙虚さと自制を維持しつつ自分の権利のために動く人々がこれだけの規模になったことは、バブル期以降ありえなかった。

この傾向は我々が65年遅れで民主主義に目覚め、人として強くなる過程だと思う。既存のファシズムや独善的な善意の人々、宗教右翼のような狂信者の動きは今後過激化するだろうけど、逆に言えば我々が彼らを追い詰めているから違法スレスレの非道義的な手段を多用して必死になる。
少しでも明るい未来を展望しつつ、今の動きを進めていきましょう。

*1:エロを楽しみたいとかそういう…