月よお前が悪いから…のアーカイブ

http://d.hatena.ne.jp/artane/ がサーバの関係で消えるようなので、アーカイブします。基本更新しません。

旧世代の左翼/フェミニズムの人間性をどうしても信頼できない理由

最近、某オルタナ掲示板でコテハンで出ているのですが、どうも、90年代〜00年代前半の左翼主流派、特にフェミニズム界隈の人というのに対して右翼以上に唾棄してしまう。*1
何故かといえば、救うべき人を救わずただただ「自己責任」を突きつけて差別者の側に立たせた最大の元凶が彼ら・彼女らにあるとしか思えないような事が多すぎる。

*1:今回はこの辺への返答も兼ねています http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1235638341/800-

救うべきなのに救われなかったロスジェネ世代(特に男性)

ロスジェネ世代と呼称される、今40過ぎ〜30位までの人々というのは、よほど満帆順調な人生を歩んでいなければ解雇の一回や二回は受けてるし、パワハラモラハラと言うのも散々受けているし、少なくない男性は女性からDVやセクハラすら受けている。

未だ女性であれば・男性でも被差別部落民や滞日/在日外国人であれば、進むべき所に進めば容易に一緒に戦う相手もいて・故に多くの人が救われた所があります。これは左翼側の成果であるし、80年代以前であれば考えられなかったこと。

しかし、特に男性であると言うだけで、門前払いされることが非常に多かったりして、下手をすると男性であることの罪悪を云々されたり自己責任論理を振りかざされて「まだやればできる調」の言葉で「励まされ」、二重に厭な気持ちで放り出されることが多かった。

「差別されない」男性であるがだけで受ける二重の疎外

つまりは、男性は男性であるだけで社会から二重に疎外される機会に恵まれ過ぎていた。言い方を変えるのならば本来疎外されている者と連帯して状況の改善に勤めるはずの左翼運動(労働運動・女性運動)が、女性や被差別民に対して開いてる寛容さを疎外されている男性にたいしては一向に向けず・逆に疎外されていない男性と疎外されている男性を一緒くたに扱って連帯すべき人を排除し続けていた

唯一例外であったのは寄せ場労働者・野宿者(ホームレス)と連帯するグループ達で、こういう運動の対象となる場では男性が大いに疎外されて搾取されたり野宿に追い込まれたりしていたので、そんなこと言うどころではなかった。

とはいえ、この運動自体、貧困問題が顕在化してきた2005年くらいまでは左翼の中でも傍流の傍流で、労働運動や外国人問題の戦線とかけもちの人も少なくなかったけどその人たちが政治力を得ていたかというと非常に厳しくて、やはり「餅は餅屋」と言うべきかその筋中心にやってきた人たちの方が声が大きくて強かった物だから2006年の「自由と共存のメーデー」あたりまでは左翼運動の中でもスポットライトが当たっていない感が強かった。

そういう中で、労働の現場から疎外された男性の大多数は、左翼の戦線に組み込める状態であったにもかかわらず、その戦線からも疎外されていった。

また、最近になってやっと統計が取られ始めた男性のDV被害やモラハラ被害・ストーカー被害というのも実は根強くあったんだけど、しかし、その受け口である行政や市民団体では訴えても認知自体がされずに来たのが現実で、そこには行政組織に食い込んでいる女性運動側の「被害者は常に女性であり、女性が加害者になることはあってはならない」と言う偏見というか先入観や、お役所の「相談対象は女性のみ」と言う硬直したシステムが災いして、男性の側の被害申し立てや相談というのはなかなか受付すらさせてもらえず門前払いさせられていた。

「二重の疎外」が招いた大衆のルサンチマンと破滅願望

こういう「二重の疎外」は、00年代の貧困の蔓延の中で赤木智弘の「希望は、戦争」と言う論文に象徴されるルサンチマンと破滅願望に向かうような時代の空気をロスジェネ世代の(主に)男性に醸成して行った訳ですが、もう少し歴史を遡ると95年頃からの歴史修正主義に多くの人が搦め捕られて行って、ネット右翼へと「成長」していった根本的な要因の一つではないかと思えるのです。

自由主義史観」(=自慰史観)なる言葉の詐術が喧伝され始めたとき、左翼側でこの言説の持つ破壊力と言うか人を引きつけてしまう魔力のようなものに気づいていた人は殆どいませんでした。個人的に、余りの危なさに慰安婦問題やってる人たちに対して警告を発したのですが誰も理解せずに「そんなの気にしてるよりも自分たちのやってることの正しさを世間(この場合、あくまでも運動を見てくれる人たち)に示していけばこんな嘘、すぐに消える」と楽観的でした。

ウソ社会を築き上げた旧左翼

しかし、90年代末には状況として自慰史観が大勢を占め、そしてその後ネット右翼が蔓延し、安倍内閣に至るまでの「反左翼ブーム」といった方が適切な嵐にまでなってしまった。

それはなぜか?
このネット右翼的な言葉の詐術というのは、旧左翼の言説の持つ優等生的で頭でっかちな雰囲気が現実を動かさない。と看做していた時代の気分に上手いこと付け込んだし、実際、そういう雰囲気に対して左翼の側が余りに向き合わないで観念論に逃避し続けた事が一番大きい。

あの当時援助交際に勤しむ少女達を研究していた宮台真司氏が「ウソ社会」と言う言葉で、その当時働き盛りで彼女らの親の世代でもあった60年代安保〜80年代成田闘争の世代が作り上げた社会や価値観の欺瞞を暴いていきましたが、その「ウソ社会」を自分達が作り上げた事に無頓着で、人によっては糾すことによって逆ギレしてしまう事すらあった。

要は、生活と密着した闘争が求められるはずの左翼の側が、社会の底流で蠢く貧困や暴力を見抜けず・男性や優等生的なものを嫌悪していた女性などを運動の場から排除し続けて、結局自分が「弱者」と思ってる人たち=フェミニズムを受け入れる女性や外国人といった人たち以外は運動に巻き込まなかった。そもそも、運動が関わることが重要であると見ることすらできなかったと言うことです。


繰り返しになりますが、「二重の疎外」が男性や優等生的なものを好まない女性に向けられ続けてきたのは、その運動の主体が70年安保〜80年代成田闘争を戦ってきた人たちで、彼ら彼女らの持っている基準が低すぎて、世間で貧困や疎外に喘いでいる人たちの基準についていけなかった。
排除しなくても過剰に清貧を求めたり・自分のイデオロギーを押し付ける事に無頓着過ぎて、最終的に相手を非難したり見下したりとかとなって人を離していくような行動を取りすぎていた。

こういう左翼戦線側の排他的な潮流や自己中心的な論理の蔓延は、人を寄せ付けないのみならず、右翼的な物にこそ希望があるかのような幻想を多くの人に抱かせ、右翼ですらないレイシズムの類に搦め捕らせ、そして、貧困が顕在化し、新しい人々が新しい左翼として現れ多くの人を引きつけた今になっても続く右翼と言うよりファシズムの気風の蔓延を招いてしまった。

我々旧い世代の左翼や元左翼は、疎外を受けたか受けないかに関わらずこの部分と向き合う必要が大いにある。我々の築き上げた間違いは、率直に自己批判して新しい世代の下に付く必要があるように思う。