■
げろげろに気分悪いですが少し書き始めます
短期収益のみで公益性や波及効果をまったく顧みない「査定」現場
この「事業仕分け会議」は公開で行われ行政刷新会議のホームページで生中継されていたので繋がりにくい中を午後から聞いていたのですが、非常に立腹しました。
(注:この生中継を録音して公開されている方がいます: http://d.hatena.ne.jp/riocampos/20091113/p1 有難うございます m(.. )m )
なぜなら、自説を押し付けようと的外れな質問ばかり行っている数名の「仕分け人」が仕分け対象の反駁は勿論、「仕分け人」の中でも重要性を分かっている仕分け人の発言すら遮って、糾弾を続けている。曰く、「コストはどうなのか」「収益性が配慮されていない」(大意)。この人たちにとってこの手の科学事業が「邪魔」にしか映っていない事ははっきりと分かるのだが、研究者や官僚がどう状況や事業の重要性を説明しても何ら聞く耳持たずコストコストと喚き続ける*1。
*1:追記:私が声で確認した限りではレンホウと藤原、他数名?
新自由主義者がハイジャックした「行政刷新会議」
この行政刷新会議の事業仕分けワーキンググループを誰がやっているか。と言う資料があります。
評価者名簿(国会議員)(案)
http://www.cao.go.jp/sasshin/kaigi/honkaigi/d2/pdf/s1-1.pdf
評価者名簿(副大臣・政務官)
http://www.cao.go.jp/sasshin/kaigi/honkaigi/d2/pdf/s1-2.pdf
評価者名簿(民間有識人)
http://www.cao.go.jp/sasshin/kaigi/honkaigi/d2/pdf/s1-3.pdf
文科省を査定するネオコン文部族
この民間人名簿の第三ワーキンググループを見ていると、ある傾向が見えてきます
このうちでこの稿では二番目の「トップダウンで教育改革に携わった者」について見てみると最低でも二名がそれに当たります。
藤原に関して言えば、山田杉並区長に招聘されて「民間センスを教育現場に持ち込む為」と称して、PTAの解体・地域支援本部と称する行政からのトップダウンで地域を動員する団体への強引な統合、学習塾「サピックス」への進学指導の委託(「夜スペ」)などの民間活力導入事業などを強引に行い、地元住民から訴訟を起こされたにも関わらず大阪府の顧問へと転任していった。(参考資料:「[資料][新自由主義][東京都]杉並区立和田中「夜スペ」での区からサピックス・藤原前校長への便宜供与の指摘」 http://d.hatena.ne.jp/artane/20090830#1251617053 などなど)
南に関して言えば、元は市大の職員*1から静岡文芸大の助教授となった後に、中田前横浜市長に招聘されてブレーンとなり、市の参与として横浜市立大学の「改革」を手がけ*2、その学生も現場も見ない強引な内容に批判が集まったものの教員に対する退職強要・管理体制の徹底を通じて中田の言いなりにならない人々を排除して中田大学とも言えるような中田イズムを大学に持ち込んだ。(参考資料: 「中田宏・横浜市長のブレイン研究」平智之,2003? http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/03-04/030422taira-n-brain.pdf などなど)
■
こういう「改革」に関しては別に稿を作る必要もあるので細部は述べませんが、1980年代の中曽根内閣から今に至るまで文科省によって行われてきた「教育改革」の最先端を行くものであり、その内容は行政が無制限に教育に介入する事を許し・教育現場を際限なく民間企業の喰い物にしていくという「改正」教育基本法*1の精神に基づくものでした。
つまり、片方にこの手のトップダウンへの組み換えがあるならば、もう片方に「日の丸君が代」「作る会教科書」のような科学とはまったく無縁のイデオロギーの押し付けがある。と言うのが文科省がこの二十五年続けてきた「改革」の中身であり、その実験的な役割を藤原・南は行ってきた。
(追記:杉並・横浜ともに、教育委員会の人事に首長が積極的に介入して強引な「改革」を多数行った事…例えば「つくる会」教科書の導入などの現場の大きな反発を押し切ってまでの特定業者への利便供与を疑われる事業の強行や現場の反発を押しきってのイデオロギー教育などの強行…は特筆しておいた方がいいかと思います。)
*1:2006年改定
文科省の復古派に与する?事業仕分け第3WG
この様な文脈から、この「仕分け」の成果を見直してみると、又違った視点が見えてきます。
コスト意識を強調しているけど、その実は自主的な研究を行える根幹にある科研費の存在を抹消しようという意志があるのではないか?このような研究内容のみで・他の科学者の相互レビューによってお金の可否が決まるシステムが大学などの根幹にある状況自体を「行革」の中で葬り去ろうとしているのではないか?
こういう自由な研究は、政府からも企業からも独立して行われることが多く、当然ながら彼らの都合の悪い結論も多くでてくるし、彼らの結論を追認させることを強制もできない。
そういう体制は、文科省で復古教育と教育現場への新自由主義の導入に執心してきた人々にとってもっとも厄介な「抵抗勢力」となってきた。
この様な「抵抗勢力」を排除することが藤原や南のような「民間人」の仕事であった。と考えると、彼らのここまでの「仕分け」が誰の為に査定をやっているか明白ではないでしょうか。
右派イデオロギー色が強い第3WG
彼らがやった「仕分け」でもう一つ注意しなければならないのは、一日目の国立女性教育会館に関する「大幅縮減」査定ではないかと思います。
ラジカル・フェミニズムとも非常に繋がりが強く、彼女らの権威付けにすら利用されているこの施設の有り様自体については批判的になっていますが、それと分離して語らないといけないと思います。
http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/h-kekka/pdf/nov11kekka/3-1.pdf
今、右派が攻撃している「ジェンダーフリー」。これは女性団体が推し進めて政府でもこれまで事業を推し進めてきましたが、その力の源泉の一つがこの施設と法人にあると考えたのではないか?
つまりは、ジェンダーフリー攻撃が実は男性の奴隷としての産業への動員を固定化する動きと非常に密接に関係があって、この施設への攻撃も非常にその文脈に忠実に「金にならない」と切って捨てていることと第3WGのメンバーの思想を重ね合わせると、この査定が単純なコスト意識によるものではなく対立するイデオロギーへの政治的攻撃その物ではないのか?と疑いたくもなる。
11/16の第3WGの注目
11/16の仕分け会議では「道徳教育普及事業」「教員免許関連」が俎上に上がります。
これらの右派から見れば「教育改革」の核心に関わっている事業に対してどのような質疑が行われるか・査定が行われるかは、このWGの公平性がどの程度であるかを見る大きな指標になると思います。
個人的には非常に甘い査定や逃げ道を与えるような甘い質疑になるのではないか…結論的に縮減となるにしても何らかの逃げ道が用意されるのではないか。と思います。