月よお前が悪いから…のアーカイブ

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おまけ(3/21):グレンラガン(TV)とエヴァの関係とかとか

ひょっとしたら、「天元突破グレンラガン」の側も関係性の描写としてどうであったか論考するかも…但し、この作品は未だ冷静に見ることが出来ないのでお蔵入りになる可能性が非常に大きいですが…やるとしたら今石洋之中島かずきがあのテレビシリーズに込めた想いをどう受け取ったかと言う「私の物語」になる…これは非常にヘビィな作業なのでやれるのかなぁ?
でも、正直なところ、グレンラガンの方が映像とストーリーのカタルシスとしてはヱヴァよりも数段大きいのですよ。
どちらも「アート」の領域に大きく足を突っ込んでいるのは間違いないんだけど、旧エヴァは、あくまでもドラッグムービーであり、前衛芸術的な位置づけになる。
エヴァというのは、非常に知的カタルシスに偏った物であって、それはそれでありなんだけど、ダウナー系なので…*1
グレンラガンはアッパー系?と言うか生きるのに凹んだときやプチ葛藤したときに何本かテレビエピソードをチョイスして見る事で元気を沸き立たせるような。そういう生きる力を与えてくれる。例えば、私の好きなロックバンド…ライダース・ストリッパー・THE ZETT・仲野茂BANDなどなどがそうであったように…こちらの方が今の私には必要で重要なので。*2

*1:とはいえ、テレビと映画全28エピソード一気通貫で見直したいんだけど金が…ね…orz

*2:グレンは私の息子がもう少し大きくなったら一気通貫で見せてハマらせたいとも思える…自分に素直に生きる勇気を彼に与えるべき時が近い内にくるだろうから…

今更ながら、ヱヴァンゲリヲン 「破」を通しで見る。

映画に行けなかった…ことはさておき、今から十五年前にリアルタイムであの狂奏曲を体験して、その後にサブカル系メディアで展開された庵野秀明という人物の一人語りを貪るように読んだ者としては、この作品を見るときには庵野秀明が敢えて「エヴァ」をやり直した理由を読み解く必要があるのでかなり精神的なキャパシティが必要であった。故に、ヱヴァの第二幕の「破」上映直前までずれこんでしまった…と言うのが実の所。

で、ぶっちゃけ庵野秀明が「序」で語ったことは?

庵野秀明本人が公式に語っているように「決意の作品」であることは確か。
では、何の決意か?
それは、身も蓋もない「エヴァ」を再びやらざるを得ない理由と言い訳と、そして、開き直った決意。
…詳しく考察してみます
基本的なフォーマットは「なんでこれをやるに至ったか」と言う事をシンジと言うキャラに投影してグダグダと語っている。と言う意味では前を踏襲(ふしゅう)しています。
しかし、前作とは大きな違いが見られる。
それは、

  • 前作では主要キャラクター全てが庵野秀明の内面をスライスした分身であった。辛うじてミサトにだけは他者性の匂いがあった。
  • 本作では主要キャラクター全てが他者性を持っている。正確に言えばシンジ-ゲンドウ-レイは本人・もしくは両親と息子であるが、ミサトは明らかにそことは関係のない他者でありシンジに信頼をおく者=恋人というよりは妻に至る者*1のポジションにいる、ゲンドウはゲンドウで明示的にシンジとレイを操作している。前作のゲンドウがあくまでも子供の持つ承認欲求のみに依存していたのに対して、本作のゲンドウ(とリツコ)は子供の持つ親への承認要求と異性全般への性欲両面を巧みに使い分けて望む結末に導こうとしている。つまりは、本作のゲンドウの方が数段腹黒い

ミサトの位置づけの違いには最初に見たときにはある程度は気がついていましたが、しかし、ゲンドウがこれだけ立ち位置が違うのは通しで見ないとわからなかった。
言えることは、同じ「自分語り」でも、前作は主観性だけで突っ走っていたけど、本作はどうやら全てを客観的に見ている。もしくは相当見ることが出来ている。そういう立ち位置にゲンドウと冬月が置かれている。リツコはそのサポート役で多分ゲンドウの愛人でもあるのだけどそこから先は続きを見ないと全くわからない。

前作でも最初と最後ではミサトを明確に他者として描写してるんだけど、それ以外では非常に他の女性との境界線が曖昧になっていた。母であるのか恋人であるのか姉なのか…
本作では、そうではなく、恋人か同志であるという事を印象づける描写がいくつも出てきていました。
例えば、終盤の「ヤシマ作戦」に出ることを拒否するシンジを説得するためにネルフの最下層のアダムリリス*2に連れていく*3シーン、エレベーターで握られた手。これは前作では劇場版最終話でしかシンジに向けられていない手の握られ方。

例えば、最初の射撃に失敗した後でシンジを更迭しようとするゲンドウに抗弁するミサトの姿。

これらは「私はあなたを信じます、だから、立って」*4と言うそういう心の叫びの感じが非常にする。
そういう観点からすると、この時点で既にミサトの立ち位置と言うか二者の関係性は確立されている。部下-上司ではあるが、しかし、最低でも同志、多分、同志以上恋人未満。

*1:つまりは、安野モヨコ|

*2:間違えてたorz

*3:すでに、前作の謎はほぼ全て読み解かれている世界…最後のカヲルの台詞から見ても、どうやら前作で一度全て滅びて復興した世界の後に続く世界っぽい…

*4:グレンラガン15話より

妻という存在を得た庵野秀明の内面変化が「新ヱヴァ」に踏みきらせた?

前作・新世紀エヴァンゲリオンを一言で語るのならば-男・庵野秀明が叫ぶ女性への呪詛・もしくはあられもないミソジニーの暴露であったでしょう。
その側面から本作を見てみると非常に面白い。不謹慎ではあるけどシンジの台詞の一つ一つがギャグ的に笑えると言っても過言ではない。
本作のシンジは、特に後半部で既にミサトに対して遠慮がない。どうしょうもない苦境に叩き込んだ父にはぶつけられない怒りや恐怖をミサトに憶目もなくさらけ出している。
前作のシンジがとことん独りで抱え込んでブチ切れていく様をエスカレーションされていくのに対して、この、全体の1/4に満たない時点で既に親とは違うものをミサトに見出していると見受けられる。
これは、ぶっちゃけ、安野モヨコとの五年以上の結婚生活を経て良くも悪くも丸くなった庵野秀明という人間の変化が投影されてるのではないか?
前作の時点では明確な他者の存在はなかった。もしくは排除すべき存在でしかなかった。最後の最後になってミサトの他者性に気づいてそれのみを受け入れることが出来たのが前作のシンジであるのならば、この成長の余りの(笑)早さは何を意味するのだろうか…第二幕「破」を見ないと分かりませんが、女性観の変化が最大の理由でしょうね。*1

*1:庵野秀明本人は公に語らないので全て推測ですが

「天元突破グレンラガン」と庵野秀明

どうやら、「グレンラガン」の企画の最初の段階では庵野秀明は中心に座っていた。しかし、今石洋之が自分の作品にすることを決意して企画が回り始めた時点でガイナックスを離れ、自分の会社を立ち上げている*1

これ自体はグレンラガン放送終了直後に行われたロフトプラスワンでのトークライブで小黒祐一郎今石洋之に対して八話でカミナ=アニキを殺したことと庵野に梯子を外されてしまったことの一致点を問われて今石がはぐらかしたあたりで予想はしていましたが…実際文献読んでビックリでした。

そういう側面から本作・ヱヴァンゲリヲン「序」を見てみると、主要キャラクターの関係性に共通性が見られる。
グレンラガンを主人公・シモンの成長劇としてみるとカミナがシモンを煽って、突然あらわれた第一のヒロイン=ヨーコの気を引きたいがためにカミナについて行って、しかしそのカミナが戦死して途方にくれていたところに現れた第二のヒロイン=伴侶=ニアがあらわれて自分を取り戻しカリスマ性を発芽させ、そして長年の動乱に揉まれて行く中で真のリーダーとなり、皆と一緒に大儀を成し遂げたものの、伴侶を失い、そして後を後進に譲り放浪の旅に出るという一つの王道展開なのですが、この構図の初期段階が本作・ヱヴァ「序」にも当てはまりそう。

  • シモン=シンジ
  • カミナ=ミサト
  • ヨーコ=レイ

仮にこの構図を作って本作を見てみるとはまるはまる…当然、ミサトとレイがこの後カミナとヨーコのように恋仲になる展開は無理でしょうから今後の群像劇としての展開や位置関係は変わってくるのでしょうが。

*1:小学館天元突破グレンラガンムック本上下巻の関係者インタビューより、本章で特記ないものは同じ参考文献。

「破」でのアスカ・マリ(新キャラ)は何のメタファーか?

前作でのアスカは、自分が女性であることでの男性に対するアドバンテージを無意識に理解して自己の支配欲のために他者=シンジを支配しようとする存在*1として描かれていました。つまりは、アスカとは庵野が持つ無意識のミソジニーの、女性を恐怖する心の、その根源にある女性観のメタファーであった。故に、実はあの作品の作品性を一番支配している*2

しかし、本作で「変わってしまった」庵野秀明がそれをよしとするのだろうか?多分、答えは否でしょう。

そうなると今後現れてシンジに深く関わるであろう二人の女性=アスカとマリという存在が何を意味してくるのか興味深い。
アスカがヒステリックでエゴイスティックな存在としてシンジをかき乱すのならば、マリは何を「武器」としてシンジをかき乱すのか?全く分からない。

ただ一つ言えるのは本作中盤・バーでミサトとリツコが話しているシーンで印象深い台詞があって
「今時の男はすべからく自分にしか興味ないわよね」
「本当、女には辛い時代よね」
一つの話の流れの一ピースとしてこのシーンを見た場合に、前作で前者の件に相当する台詞は度々あったかもしれないけど、前者を受けて後者の件を出すに当たる台詞が出ることはありえなかった、ここにも庵野秀明が自分を・男性という存在を客観的に見ている=女性の視点を正確に出している傍証が見られるという事です。*3

*1:ある意味、使徒よりも数段厄介な強敵

*2:と現在の私は受け止めている

*3:追記:前作でも同じ台詞があった気がするけど、意味合いが全然違うということです

劇ヱヴァ第二幕・「破」では何が語られるか予測してみる。

さて、どちらが来るか?
死んだら化けて出てやると嫁*1に呪い文書書く姑*2*3
無残!愛息子を寝取った嫁と姑の泥仕合をかき回す愛人!*4*5



両方共二時のワイドショーの「夫婦110番」的な煽り文句にて。

今回も、シンジを得るために女性達のエゴがむき出しになる状況があるでしょうが、そこで行われているのは(前作のように)単純にシンジを精神的に支配しようとする作業ではなくシンジの肉体と精神を誰が独占するか。どのように手練手管を弄するか。と言う非常に肉体性が強くも生臭くドロドロとした「女の争い」になるのではないかと…これは嫁姑の確執や妻と愛人の確執によくある状況になぞらえられそうな、ものですが…

*1:ミサト

*2:レイ=ユイ

*3:http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%99%82%E3%81%AE%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC#.E5.A4.AB.E5.A9.A6110.E7.95.AA より引用。

*4:アスカ?新キャラのマリ?

*5:こちらは創作