フェミニストはより荒れ果てた社会を望んでるのか?
児ポ法を推進する側や女性優位を目指す人々の多くがフェミニストであり、そのオピニオンリーダについてセックスヘイターが多く見られることを(現状は印象論に基づく仮説ながら*1)この間指摘してきましたが*2、80年代以降のフェミニズムムーブメントと社会の高度資本主義化・新自由主義化がどっぷり四つでかみ合ってしまうと言う不幸な形で、この社会の性を巡る状況は崩壊してしまったように私には見えてならない。
前段階としてあるのは、明治以降強引に移植された西洋・特にアメリカの「進んだ」性道徳やそれ以前の武家社会にあった独特の性道徳と言うものが存在して、それ自体は戦前は実際の「本音」とうまいこと棲み分けて来たのですが、
戦中の統制政治とその後の道徳の変化=GHQによる3S政策のプロパガンダの影響を強く受ける形で、日本社会全体が工業化と西欧化に邁進する中で必然的に起きた社会全体の変化の中で、性と言うものが生活から疎外されて行った所にまず注目する必要があるのではないかと思います。
戦後日本大衆史と日本のフェミニズムの関わりを批判的に考察する
一つには農村のムラ社会が、専ら都市への労働力の供給を目的として中途半端に解体されてしまった事や農村が豊かになる中で買春が容易に出来るようになって、ムラ社会の一つの柱であった儀式的な性風俗を維持させる必然がムラの男性の側から薄れて行った事が大きくあると思います。
とはいえ、小泉「改革」で地方社会がトドメを刺されるまでは、農漁村では車を主なツールとした青少年の性風俗というかそれなりの「乱れた」性風俗*1が存在していて、そこでは実は都市では壊滅して売買春にとってかわられてしまったような性の駆け引きが主に若い人たちの間で存在していたので実はムラ社会の「疎外」と言うのはそんなに酷くはなかった…スクールカーストの下層に押し込められない限り…のではないかとも思えます。*2
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もう一つ。これが最も現状に至る道を決定付けてると思いますが、GHQ占領体制下で、性というものが上から再定義されたと言う事があります。
昭和20〜30年代*1の新東宝などの青春映画を見ていると、非常に「清い交際」と言うのが強調されていて、恋愛と言っても性の生々しい匂いが全くしない。
こういう物が流布され、「正しい男女交際」とされたのは、旧帝国政府の求めた性道徳と言う物が武家社会のそれであって、庶民のそれが猥雑で下品だとされていた事の延長線上として起きたことでもあるのですが、それ以上に、当時のGHQがアメリカ社会を理想化して、「アメリカ化」を押し付ける政治的必要性があったからに他ならないと思います。
少し前まで、旧帝国政府の洗脳教育で「鬼畜米英」「打ちてし止まん」と見られていた占領軍が日本を安定化させるためには一つにはアメリカの「豊かさ」を誇示してアメリカ社会の正統性と日本社会の不当性を殊更に強調する必要が確かにあって、日本人は旧帝国政府に洗脳されてしまう*2程度には「お人好し」であったし、戦争と旧帝国政府の放蕩で疲弊しきっていた日本社会よりも「豊かな」「たべものがある」アメリカ社会を理想化してしまったのは日本人が「お人好し」であったからこそ成し得た所業でもあります。
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このような中で、日本人・とりわけ都市部に住む人々は性という物に対して上からの価値観の書き変えを容易に受け入れてしまった。
しかし、歴史に連続性があるのと同じく、上から書き替えられても周囲の環境が変化しても人間の粗暴性という物は容易には変わらない。
「新しい性道徳」は禁欲的であったし、それを望まれた戦中・戦後生まれの「若い」世代はそれを当たり前のモラルとして受け入れて育って行った。受け入れられない若者は「不良」などと疎外されて行った。*1
故に、社会の中枢を担う人々は、結婚するまで純潔を守るという道徳を普通に持っていたりするなど性というものを日常から疎外しつづけたまま「オトナ」になり、「家族」を作って行った。
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1970年代、ウーマンリブの嵐が日本でも吹き荒れ、当時の進歩的な女性や男性はウーマンリブに連なる形でフェミニズム運動を形成していった。
この中では、「犯す男性」と「犯される女性」と言うステロタイプが言説の大前提となり、後のラジカル・フェミニズムに酷似した人々は、女性の権利獲得の為に、男女のヘテロな性行為自体を日常から排除する事を扇動した。
例えば、「セックスは男の征服欲を満たすだけの場だ」「女性からの男性への性欲などありえない。そのような物を示す女は女の敵だ!」。
こういう、男と女・女と女の非和解的な対立やセックスヘイトを扇動する言説が日本のウーマンリブや初期の日本のフェミニズム論壇では持て囃され・それ自体が性暴力の被害に悩んだり当時の固定化したジェンダーに悩まされていた女性の溜飲を下げ・そういう言説自体がフェミニズムへと女性をオルグするのに重要な役割を果たしてしまった。
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更に、この国のフェミニズムと左翼に取って不幸な事態が起きます。
成田闘争での「強姦事件」です。
これは、第四インター・プロ青同の関係者がノンセクトの女性を強姦しようとした事件で、その後の対応によって(そのような強姦が少なからずあったことが発覚したのもあって)第四インター自体が空中分解するに至った歴史的な事件で、90年代近くなって左翼に噛んだ私のような者でもその余波を目の当たりにさせられるような大きな事件でした。
http://redmole.jp/sabetu1.html から、一部抜粋。
合宿所で強姦未遂事件をおこした神場*1の性癖は、私のあやふやな記憶によると合宿所に来る前からその片鱗がうかがえたものです(もちろん神場を追及する過程でわかったことですが)共産青年同盟に加入する以前からかもしれません。共産青年同盟での活動の2年や3年で、治療的対応なく男の女性差別レイプという病気ないしは病的傾向を治せるはずがないと今はいえます。しかも当時のインターには、「大衆運動路線を選択したわれわれは、青年のアナーキーな性道徳に寛容であった」(女性差別克服小委員会が提案した議案書の「組織内女性差別問題についての同盟の経過と問題点について」より)という状況がありました。
余談ですが当時のインターは、向こう見ずで勢いがあり、ちょっと自由主義的なところも私には好感が持てました。(中略)
神場には治療的対応が必要だったが、実際に行われたのは不徹底な糾弾でした(この場合の糾弾は、被害者の女性とその救援グループが行ったものを示すのではありません。私は被害者の女性とその救援グループが行った糾弾には同席していません。私たちがインター女性グループなどと共に行ったものです。言葉の正しい意味では追及かもしれません)
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被害女性と彼女を救援していた女性グループについては、比較的早期に合宿所とは連絡が切れましたし、私は言及することはできません。私の記憶が正しければ、後で東京の強姦救援センターを創る流れの女性たちだったと思います。当時 神場問題を、直接的に 合宿所の問題と捉えたのは誤りだったと思います。合宿所が関係ないというつもりはありません。神場個人の病理の治療と合宿所に存在する女性差別的傾向を改善していくことは相対的に分けて考えるべきだったと考えているだけです。
インター内部の問題はここでは論じません。他党派だった私にはわかりません。 ただインター女性グループの中に 大衆的に合宿所の問題を拡大し インター内部の女性差別問題の活性化に利用しようとした意志が存在したのは事実であり、その圧力に、少なくとも私は抗しきれなかったとはいえます。
インターの女性差別克服小委員会が提案した議案書の「組織内女性差別問題についての同盟の経過と問題点について」を見ても、当初 インターの指導部が隠蔽的に働いた様子がうかがえます。インター女性グループの合宿所での動きは、無理からぬことだったのでしょう。
(後略)
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強姦事件を隠蔽しようとした当時の第四インター指導部の対応が日本のフェミニズム運動の主力につながっていく女性グループを刺激し、徹底した追及を招きました。
しかし、その追及は度を越したもので、「男であることを自己批判せよ」と言うような踏み絵を男性に迫るところになり、踏み絵を踏んだ男と踏まない男に女性の側から左翼の男性を分断していった。
そして、女性の左翼であるというだけで彼女らは仲間とするような、ある種の政治カルトを形成していった。
余談ですが、このような「踏み絵」は最低でも90年代前半までは運動の場で普通に存在していた。踏み絵を踏まなかった人が運動の場から排除されたり、踏み絵を踏まないことを糾弾する人々が分裂していく中で、私は自己保身の為に草食系であることを装い続けてきた。当然、その他の育ちの悪さ故に性に関われなかった部分も大きく噛んでるので自己保身が主ではないですが。
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この事件は、第四インターの分裂と崩壊を招いたのみならず、日本の左翼運動内部に「北原派につくか・熱田派につくか」と言う対立軸と同時に「フェミであるか・非フェミであるか」と言う対立軸を主に熱田派についた人々の中で形成していきました。*1
これが、80年代終盤からのフェミニズムの盛り上がりや性暴力問題へのコミットから極度のセックスヘイトを社会に強いることを新たな「踏み絵」とする事に繋がっていくわけです。
当然右の側からのフェミニズムというのも、左翼系フェミニズム*2の思想的影響を大きく受けているし、彼女ら彼らが右派である所以は、今で言うところの宗教右翼の思想や道徳観に共鳴していることでしかなくて、90年代半ばまでの左翼フェミニストが成田強姦事件の後の断裂に依拠してるのであるならば、右派フェミニストは宗教右翼の持つ清教徒的な潔癖さに依拠してる所でしか違いがない。
故に、エクパット東京のような統一協会のフロント組織が左翼系の女性運動と共闘してポルノ排除やセックスヘイトに邁進するのは当然の帰結でもあります。
「強姦事件」問題を糾弾した女性たちの宣言(1987年)
余裕がある人はこちらの資料も読んで見てください。私はこの論文にセックスヘイトの端緒を感じて止まない。
「わたしたちの再出発にあたって 何よりもまず女たちのものである革命をたぐりよせるために 1987年9月 第四インター女性解放グループ」 http://redmole.jp/sabetu3.html